ガラスのうさぎ作者・高木敏子さんが語る「いま伝えたい三つの言葉」

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聞き手・抜井規泰

ガラスのうさぎ作者・高木敏子さん

 私の家は東京市本所区(現東京都墨田区)の京葉道路沿いにありました。父はガラスの「江戸切り子」の職人で、自宅の床の間に父が作ってくれたウサギの置物がありました。

 1945年3月10日の東京大空襲で、床の間の置物はぐにゃりと溶けていました。ガラスも溶けるすさまじい炎で、母と2人の妹が焼き殺されました。遺骨も見つかっていません。

 それから5カ月後の8月5日。神奈川県の二宮駅の待合室で私と一緒に汽車を待っていた父が、米軍機の機銃掃射で殺されました。戦争孤児となった私の戦争体験を描いたのが、「ガラスのうさぎ」です。

玉音放送にこみ上げた怒り

 8月15日の「耐えがたきを耐え」という玉音放送に、怒りがこみ上げました。あと10日早ければ、父は死ななかったのです。広島と長崎の原爆もなかった。半年早ければ、母も妹たちも死ななかった。沖縄の悲劇もなかった。「もっと早くやめれば良かったのに……。軍隊の偉い人、どうかしてるわ」と怒りがこみ上げました。

 衆院選が19日に公示される。前回選挙から4年、私たちの暮らしは、社会は何が変わり、何が変わっていないのか。それぞれの立場から発信を続ける人たちに、政治や選挙への思いを聞く。

 その8月15日を「終戦記念…

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この記事を書いた人
抜井規泰
さいたま総局
専門・関心分野
大相撲、江戸文化、東京防災、荒川防災、東京大空襲、魚河岸