平等院鳳凰堂の扉絵に耐久性顔料 「次の千年のため」50年前の試み
世界遺産の平等院(京都府宇治市)で、半世紀前に取り換えられた鳳凰堂(ほうおうどう)の扉の絵に耐久性のある顔料が使われていたことが、修復作業のための科学調査で分かった。修復当時は深刻だった大気汚染の影響を最小限にするため、実験的に試みたと考えられるという。
鳳凰堂の扉は堂の周囲に12面。平安時代に作られ、阿弥陀如来や菩薩(ぼさつ)が死者を迎えに来る「来迎図(らいこうず)」が描かれている。このうち北面の扉などが1967年に新品に交換され、旧扉は収蔵庫に保管された。
新しい扉の絵は、日本画家の松元道夫氏(1896~1990)らが旧扉の絵を模写して描いた。当初は新品だったが50年以上が過ぎ、一昨年、修復することになった。
担当したのは東京芸術大大学院の荒井経(けい)教授(保存修復日本画)。蛍光X線で扉絵を分析すると、北面右側の扉(縦385・4センチ、横151・9センチ)の絵の右端の枠(幅9・2センチ)からチタンと銀が検出された。その部分は他より劣化が遅かったという。
荒井教授は「チタン胡粉(ごふん)」が使われていたと説明する。酸化チタンを使った白色顔料だ。伝統的な白色顔料と違って変色に強く、耐久性があるのが特徴。これが下地として試し塗りされていたという。
オリジナルの扉絵でないとはいえ、なぜ伝統的な顔料を使わなかったのか。
荒井教授は「新しい扉絵を何百年も守るため、画面に影響の少ない絵の端であえて新顔料を実験したのだろう」と説明する。
その根拠の一つは、平等院に残る昭和46年の扉絵下絵の箱書きだ。「扉絵は昭和三十二年の鳳凰堂大修理落成以来参観者多く 又(また)空中硫黄酸化物流入等により近年剝落(はくらく)甚だしく保存が強く求められるに至り」と復元模写の経緯が記されている。模写した松元氏の日誌からも、大気汚染への心配がうかがえたという。
「創建から900年経験しなかった大気汚染や参拝者増加という環境変化のなか、絵の劣化を目にして、伝統技法だけでは持たないとの危機感があった」
そう荒井教授は読み解く。
復元模造も数百年先には本物扱いになるとして「平安時代の技法をなぞるロマンではなく、環境汚染から国宝扉をどう守るかの切実なメッセージと受け取るべきだ。現場実験50年の成果は、復元を長い視点で考えるきっかけになる」と指摘する。
平等院の神居文彰(かみいもんしょう)住職も「昭和に巨大な扉絵を交換した時、公害が問題になっていた。扉絵を次の千年にどう守るか、50年前に試みがあった」と受け止める。
荒井教授の研究内容は、平等院発行の紀要「鳳翔学叢(ほうしょうがくそう)」(税込み1千円)に載せ、8月18日に発表した…