命救われたNICUで今度は私が 22年ぶりの再会、看護師の決意

佐藤陽
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 22年前に低出生体重児で生まれた女性が今春、入院していたNICU(新生児集中治療室)の看護師となり、元担当医だった新生児科医と再会した。「人に寄り添う仕事を」と目標とした職業に就く中で、実現した「恩人」との出会い。女性は「病院とお世話になった医師に恩返しできれば」と考えている。

 女性は、神奈川県立こども医療センター(横浜市南区)NICUの看護師、古屋希(のぞみ)さん(22)。元担当医は、同医療センター地域連携・家族支援局局長の星野陸夫医師(61)。いまも新生児科医として、病床の調整を受け持っている。

 古屋さんは、1999年6月、同センターの産科で生まれ、すぐにNICUに入院した。28週6日で生まれ、体重は1228グラムだった。1500グラム未満は「極低出生体重児」と呼ばれる。2カ月余り入院した後、無事退院した。その後、9年間、星野医師のフォローアップ診療を受けた。

 元々古屋さんは、小中高と剣道を続けていて、警察官を目指していた。しかし高2のとき進路を考え、「もっと人に寄り添う仕事ができないか」と看護師を考えるようになった。

 「そのとき浮かんだのが、こども医療センターのポップなイメージ。1階ロビーの洞窟のようなところに入ると、ステンドグラスが見えた」と古屋さんは振り返る。

 県内の看護専門学校を卒業した後の今年4月、こども医療センターに入った。配属は、希望したNICUに決まった。

 「日々患者さんに接するなかで、知識や実力の不足を感じる。大変ななかにも、やりがいは感じつつある」

 22年前にその古屋さんを担当したのが、星野医師だ。

 星野医師は、1987年に医師になり、5年間大学病院にいて、92年に同医療センターに来た。「新生児科医として、最も生意気だったころに、古屋さんを担当した」と笑う。

 2人の「再会」は、教育係の看護師が仲介してくれたという。古屋さんが「星野先生は、まだいらっしゃいますか?」とその看護師に聞いて、再会が実現したそうだ。

 「正直、当時の記憶はあまりないが、『古屋希さん』というお名前は覚えていた」という。古屋さんは「いまは目の前のことでいっぱいいっぱいですが、患者さんの将来のことを見据えた看護をしていきたい」と話している。(佐藤陽)

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佐藤陽
佐藤陽(さとう・よう)朝日新聞文化くらし報道部・be編集記者
横浜総局時代に、超高齢化の実態や取り組みを描いた「迫る2025ショック」を2年半連載、『日本で老いて死ぬということ』(朝日新聞出版)として出版した。台湾でも翻訳された。自身の心の病をきっかけにメンタルヘルスの取材も続ける。早稲田大学非常勤講師として「産業社会のメンタルヘルス」の講義を担当する。