山口組、離脱状態の山健組に復帰認める 神戸山口組との抗争に節目か

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 指定暴力団山口組(本部・神戸市)は16日、抗争を続けてきた神戸山口組(本部・同市)の元中核組織で、離脱状態にあった山健組の組長と配下組員らが山口組へ復帰するのを認める決定をした。捜査関係者らへの取材でわかった。

 岡山県警は16日、神戸山口組の有力組織だった池田組岡山市)も離脱し、独立団体になったと発表した。

 警察庁によると、昨年末時点の組員数は山口組3800人、神戸山口組1200人。相次ぐ離脱で神戸側の弱体化は決定的になった。警察当局は抗争終結に向けた節目になる可能性があるとみて注視している。

 捜査関係者らによると、山口組は16日、山健組組長の中田浩司(ひろじ)被告=山口組系組員への殺人未遂などの罪で起訴・勾留中=と配下組員らの復帰を組内に通知した。山健組の幹部らも同日、兵庫県加古川市内で会合を開き、復帰の方針を確認したという。

 山健組と池田組などは2015年、山口組を離れて約3千人の勢力で神戸山口組を結成し、当時の井上邦雄・山健組組長がトップに就いた。05年に山口組トップになった篠田建市(通称・司忍)組長と、出身母体の弘道会名古屋市)への強い反発があったとされる。

 対立抗争が続いたため、兵庫、大阪など6府県の公安委員会は昨年1月、山口組、神戸山口組を特定抗争指定暴力団に指定し、その後、岡山など4県の公安委も指定していた。

 捜査関係者によると、神戸山口組内では昨年夏ごろ、運営などをめぐり、井上組長らと山健組を継いだ中田被告らの対立が表面化した。池田組が離脱したほか、中田被告は「除籍」された。山健組の多数の組員は中田被告に従ったが、一部の組員は同じ山健組の名で神戸山口組に残留しているという。

 中田被告は19年夏に山口組系組員を銃撃したなどの疑いで同年末に起訴された。ただ、山口組側は中田被告を「幹部」として受け入れる方向だという。

山口組分裂をめぐる時系列一覧

2005年7月 山健組出身の…

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