画面に浮かんだ「Sarin」 科学捜査の先駆者が駆け抜けた時代

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編集委員・吉田伸八
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 地下鉄サリン事件、カレー毒物混入事件……。科学捜査官の先駆けとして、数々の事件捜査に携わり、「捜査支援」の仕組みの土台を築いた人がいる。警察を退いたあと、民間の技術と官をつなぐための活動に取り組む服藤(はらふじ)恵三さん(64)だ。いま、それだけでなく、もう一つの「仕組みづくり」に関心があると話す。

「先生に会いたい」 土谷・元死刑囚は言った

 《1995年3月に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件。当時、警視庁科学捜査研究所の研究員14年目だった。毒物を鑑定し、最初にサリンと特定した》

 科学捜査研究所に出勤していた。「地下鉄で人がたくさん倒れている」「車内で異臭がする」といった一報を無線で聞き、「毒物だ。鑑定依頼がくる」と思った。

 午前9時すぎ、車両の床の液体を拭き取った脱脂綿を入れた袋を持った捜査員が駆け込んできた。「みんながせき込み、『目が痛い、暗い』と言っている」という。捜査員の目も縮瞳してピンホールのように小さくなっている。直感的に「有機リン系の毒物だ」と思った。屋上に袋を持って行き、風を背にして息を止め、袋の中身を溶媒の入ったフラスコに入れ、ふたをした。そのまま分析装置にかけたところ、しばらくして装置の画面に「Sarin」の文字が出た。

 「やっぱり」と「なぜ」という言葉が浮かんだ。実は、前年に長野県松本市で起きたサリン事件のあと、当時の刑事部長から「都心でサリンがまかれた時に対応できるようにしておいてくれ」と言われていた。これがサリンだとしたら、作ったグループがいることになる。驚愕(きょうがく)を覚えた。

 《その後、オウム真理教による事件の捜査にかかわり、科学面から支えた。押収された実験ノートの内容も分析。山梨県上九一色村(当時)の教団施設の実験棟なども確認した。サリン製造の中心とされる土谷正実元死刑囚(2018年7月に死刑執行)に、95年4月の逮捕後に対面した》

 逮捕の2日後に捜査1課長から「会ってきてくれないか」と言われ、築地署を訪れて、取調室で対面した。何も話さず目をつむったままだったが、大学院時代の研究の話をふると、会話のやりとりが始まった。私がサリン生成の工程や化学式を紙に書いていくと、反応があった。私が書いたものを目で追い、手に取る。腰を浮かしたかと思うと、目をつぶって天井を仰ぐしぐさを繰り返したあと、体を前後左右に揺らすようになった。そこで、部屋に捜査1課の係長が入ってきて対面は終了となった。午前0時を回っており、5時間以上2人きりで会っていたことになる。

服藤さんの知識を生かした事件捜査は、東京以外にも広がっていきます。様々な現場での体験を踏まえ、「アナログ」な捜査現場のデジタル化へと踏み出します。

 翌日、係長から「土谷が『先…

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この記事を書いた人
吉田伸八
編集委員|警察庁担当
専門・関心分野
警察行政、事件、犯罪
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    磯野真穂
    (東京工業大学教授=応用人類学)
    2021年9月10日15時4分 投稿
    【視点】

    自然科学は「世界は物質の塊である」という視線を徹頭徹尾貫くことで多くの発見を成し、世界を変え続けてきました。松本サリン事件では、当初原因が何かわからず、多くの人が事情聴取の対象になっています。しかしサリンを特定する技術があったおかげで、犯人

    …続きを読む