いかしゅうまい屋になった鉄道員 39歳転身の理由

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松本真弥
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 土橋泰輔(40)は鉄道員から、いかしゅうまい屋の「番頭」に転身した。四十路(よそじ)を前にした2019年の暮れのことだ。

 職場は、佐賀・呼子名物で全国に知られる「いかしゅうまい」をつくる「萬坊」。JR九州で財務畑を歩き、経営のかじ取りをする取締役として送り込まれた。

 創業43年の老舗では、人事や経理を取り仕切り、ヤリイカやスルメイカの仕入れで業者との価格交渉にもあたる。萬坊2代目の太田順子(41)の「よき相談役」でもある。

 会社のロゴマークでもある魚のマンボウを胸元にあしらった自作のパーカ姿で潮風に吹かれる土橋は語る。「会社員人生そのものが、長い自分探しのようでした」

 九州大で経済学を学び、03年にJR九州に入社した。九州新幹線の開業を控えて出身地の熊本をはじめ九州中が沸き立っていた。鉄道に興味はなかったが、新しいことに挑戦できそうな、魅力的な就職先だった。

経営中枢で重ねたキャリア

 入社後の振り出しは、博多駅から四つ先の香椎(かしい)駅。1日1万5千人以上が乗り降りする大きな駅で、構内放送のマイクを握り、みどりの窓口で切符を売った。3年目で現場を離れ、希望していた経営中枢の部署で決算や予算、資産運用を長く担当することになった。数字と向き合う日々が続いた。「このまま財務畑でキャリアを重ねていくんだろう」と漠然と考えていた。

 潮目が変わり始めたのは15年、会社の指示で通った経営大学院での出会いだ。

 机を並べた「同級生」には…

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