ミャンマーに巨額投じた日本 かすむODA最後の地平

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聞き手・織田一 聞き手・笠原真
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 ミャンマーの国民が10年かけて積み上げてきた民主主義を、国軍が踏みつぶそうとしている。政府の途上国援助(ODA)をつぎ込み、民主化を後押ししてきた日本の落胆は大きい。ODA外交の限界なのか。財務官としてミャンマー支援に深く関わったみずほリサーチ&テクノロジーズ理事長の中尾武彦さんに聞いた。

 ――民主国家の道を歩んでいたはずのミャンマーで軍事クーデターが起き、世界に衝撃が広がっています。ミャンマー支援の先頭に立ってきた日本の関係者は失望の色を隠せません。

 「確かに衝撃的でした。国民民主連盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏もロヒンギャ問題で軍だけを悪者にしないなど配慮していました。軍事政権に区切りをつけて改革開放路線に転じて以降、日本をはじめ各国が支援し、企業の直接投資も順調でした。アジア開発銀行(ADB)や世界銀行も一緒に発展を助けようとし、成果を出し始めていたのです」

 「軍はNLD政権に満足していなかったかもしれないが、金融や港湾事業などを展開する国軍系企業も利益を得ていたはずです。軍は、NLDが大勝した2020年の総選挙で不正があったと主張し、『クーデターではない。外国とのビジネスもこれまで通り』と繰り返していました。これで収まると思っていたとしたら、大きな誤算としか言えません。国民の抵抗がやむ気配はなく、軍自身の利益を損ねる結果になっています」

ミャンマーの民主化に期待し、巨額の援助をつぎこんだ日本。なぜ日本はODA供与にこだわったのか。これから進むべき道は。アウンサンスーチー氏とも面会した中尾さんが詳しく語ってくれます。また、法政大・松本悟教授の「援助拡大に疑問が残る」との視点も紹介します。

 ――10年に総選挙があり、翌年、軍籍を離脱したテインセイン大統領の政権が発足。日本はいち早く支援に名乗りを上げました。

 「08年に制定した新憲法は…

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