代行バスも差配の三鉄1期生が卒業 沿岸見つめた38年

有料記事

藤谷和広 大久保泰
[PR]

 三陸鉄道岩手県)を創業時から支えてきた「さんてつマン」が先月末に退職した。開業した駅に押し寄せる住民の熱気。人口減少とともに減り続ける乗客。そしてあの日、運転再開に向け、途切れたレールの上を歩いた。「より地域に密着した鉄道に」。38年の思いを後輩に託す。

     ◇

 震災から10年となった3月11日午後2時46分。旅客営業部副部長の冨手淳さん(60)は、リアス線の閉伊川橋の上で止まった列車内で黙禱(もくとう)を捧げた。特別列車のガイド役として、当時の様子を乗客に伝えた。

 津波で線路や駅舎は流失。宮古駅の事務所は停電し、被害を免れた1両列車のエンジンをかけ、対策本部とした。普代から宮古までの状況が分からなかった。2日後、冨手さんは当時の望月正彦社長(69)と山道を通り、9時間ほどかけて一駅ずつ回った。

開業から苦難の連続

ここから続き

 島越は駅舎だけでなく、線路…

この記事は有料記事です。残り1076文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら