旧吉田医院など5件、国の文化財に答申

宮城奈々 大谷秀幸 矢田文
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 【鳥取】国の文化審議会は19日、鳥取市瓦町の「旧吉田医院」、「旧吉田璋也(しょうや)家住宅主屋」など計5件を、国の登録有形文化財(建造物)にするよう文部科学相に答申した。県によると、登録されれば県内の登録数は252件になる。

 旧吉田医院は、同市出身の医師で民芸運動を主導した吉田璋也(1898~1972)が開いた。現在の建物は52年の鳥取大火で焼失した直後に再建された。吉田自らが設計した木造2階建てで、物干し場や自転車置き場として使われた床下と、書斎や寝室だった屋根裏を合わせて4層構造になっている。診療科目は耳鼻咽喉(いんこう)科、小児科、内科循環器科で、90年に閉院するまで使われた。

 屋内に入ると、吹き抜けの玄関と階段がある。室内の基調は和風だが、階段の縁は松の板を曲げて丸みを帯びたバロック風の造り。一方、耳鼻咽喉(いんこう)科の診察室と処置室・手術室を仕切るガラス戸の桟は東洋風のデザインが施されている。様々な民俗様式や建材をとり入れているが、色みを焦げ茶にまとめて統一感を持たせている。

 旧吉田璋也家住宅主屋は53年に完成。木造2階建てで、旧医院と同じ4層構造。1、2階がそれぞれ旧医院とつながっている。土蔵のような外観にアーチ型の鉄製フェンスを設け、西洋風の意匠を加えている。

 吉田が創設した鳥取民芸美術館の木谷清人・常務理事(68)は「あらゆる民俗の様式を組み合わせて新しい空間を作っている。トータルコーディネートされた民芸建築だ」と話す。

 旧吉田医院はJR西日本の豪華寝台列車トワイライトエクスプレス瑞風」の乗客立ち寄り地にもなっており、4月18日に特別公開を予定。旧吉田璋也家住宅主屋は非公開。

 ほかの3件は鳥取市鹿野町中園の「飯田家住宅主屋」、米子市灘町1丁目の「旧外江(とのえ)屋店舗」、倉吉市河原町の「旧高多家住宅主屋」。

 飯田家住宅主屋は、農村集落に立つ大規模な町屋住宅。飯田家は代々農業を営み、養蚕業や桑の苗木の生産・販売も手がけた。主屋は4代目が明治時代に町屋を購入後、大正時代の19年ごろに5代目が移築・増築したものとされる。

 1階部分と2階部分を合わせると約311平方メートルと規模が大きく、「かなり裕福な商家であったと思われる」という。柱にケヤキが多く使われているのも特徴的だ。

 旧外江屋店舗は、木造2階建てで建築面積は約86平方メートル。小規模な町家だ。旧外江屋は、江戸時代境港市から現在地に移ってきたと伝わり、明治から昭和にかけて海産物問屋を営んでおり、この建物は出店とされる。

 市文化振興課によると、棟札から幕末の1866(慶応2)年の築とされるが、1763(宝暦13)年の棟札もあり、ちょうな仕上げの約8メートルの太い梁(はり)など宝暦年間の古材を使って建て直された可能性もあるという。1959年と2018年にも改修されている。瓦屋根だが勾配が緩やかで、かつては板ぶきだったと考えられている。建物の中ほどに吹き抜けがあり、上部に神棚が設けられ、近世の典型的な米子の町家の形式を伝えている。現在、米子観光まちづくり公社の「米子まちなか観光案内所」事務所として、観光案内や米子の町家・街並みの保存・再生の拠点になっている。

 旧高多家住宅主屋は、八橋(やばせ)宿(琴浦町)と倉吉を結んでいた奈良時代からの街道・八橋往来に面した平屋建ての町家で、1902(明治35)年に店舗兼住宅として建てられた。外壁は真壁造り、黒しっくい塗り。旧商家町の様相を伝える建造物だ。(宮城奈々、大谷秀幸、矢田文)

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