「牛さんごめん」 餌なき牛舎に34頭、元牧場主の無念
腹をすかせた乳牛が牛舎の柱をかじりながら、主人の帰りを待った。しかし、原発事故による避難は長引き、34頭が餓死した。牛の姿が消えた牛舎には、いまも約10本の細った柱が残る。「牛さんごめんなさい」。福島県南相馬市の元牧場主、半杭一成さん(71)は当時の無念さを忘れられない。
はんぐい・いっせい 1949年10月、小高町(現・南相馬市)生まれ。相馬農業高校を経て、県農業短期大学校卒。父を継いで70年に就農し、酪農を始める。震災後の2012年に設立したNPO法人「懸(かけ)の森みどりファーム」理事長を務める。
――東日本大震災で自宅がある南相馬市は震度6弱の揺れに襲われました。
「自宅前にいた。家が壊れる、って思った。怖いのは停電だ。搾乳、牛乳を冷やすクーラー……。酪農はすべて電気仕掛け。搾乳しようと、牛舎に入った」
――自宅は海岸から7キロ以上離れた山のふもとです。ただ、東京電力福島第一原発から北西約15キロにあり、1号機の水素爆発の後、翌12日夕方には20キロ圏内に避難指示が出ました。
「(市職員だった)妻が12日夕方に帰ってきた。原発事故で避難指示が出ていることを聞いたが、牛がいる。13日からは朝に搾乳したら避難所に行き、夕方には自宅に戻って搾乳し、自宅に泊まった」
――しかし3月15日朝、福島市の長男宅に避難することになりました。
「1週間すれば帰れると思っ…
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