軍隊生活描いたスケッチ帳展示 小竹の戦争資料館
旧日本軍の内地部隊の日々の活動を描いたスケッチ帳が、福岡県小竹町の「兵士・庶民の戦争資料館」に寄贈され、5日から展示される。一人の兵士が所属部隊の様子を描いたとみられ、訓練の場面から寝起きや外出先でくつろぐ姿まで、高いデッサン力で表現されている。同館は「軍隊生活を記録した貴重な資料」としている。
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スケッチ帳は、福津市の諸藤幸枝さん(62)が昨秋、中間市の実家の荷物を整理した折に持ち帰った。亡父の中河原英(ひでし)さんの遺品で、父は生前、「戦友にもらった」と話し、大事に保管していたという。諸藤さんは絵の素晴らしさにあらためてふれて、昨年12月、同館に寄贈した。
スケッチ帳はB4判。最初のページに「中河原様」と書かれ、「西部一六部隊 合志隊 山村鉄巳」の署名がある。山村さんが描いたスケッチ帳を中河原さんに贈ったとみられる。
描かれているのは、戦友の軍服姿の横顔、銃を持っての行軍、川での水泳などの訓練の様子を始め、起床や掃除、軍歌演習など日々の生活ぶり、外出先でベンチでくつろぐ様子まで多岐にわたる。黒や青、赤の鉛筆で描かれ、一部にペンや墨も使用。36ページに計76場面あり、それぞれに「軍靴手入」など簡単な説明が添え書きされている。
添え書きに熊本市の地名の「白川」や、「江津湖」と思われる「絵図湖」があり、部隊名の「合志」は熊本市の隣の現合志市と一致する。山村さんは当時、熊本の部隊に所属していたと考えられるという。日付は、終わりに近いページに「(昭和)19・1」と記されているだけで、終戦前年の1944年まで描いていたとみられる。
軍隊手帳によると、中河原さんは43年7月に応召。久留米の歩兵部隊に配属中に病気で入院し、44年6月に召集解除された。諸藤さんによると、除隊後は八幡製鉄に復職。スケッチ帳を描いた人物について、外地に派遣されたと話していたらしい。その後の消息は不明という。
資料館の武富慈海館長(72)は「戦死を覚悟し、大事にしていたスケッチ帳を親しい友に託したのだろう。遺書の代わりだったのでは」と推測する。「軍隊内の様子は門外不出とされた時代に、その様子を高いデッサン力で生き生きと描いており、価値が高い」としている。
作品保護のため、今回は各ページの原寸大の複写を展示している。4月10日までで、入館無料。開館は午後1時半~5時で、水・木曜休館。個人運営のため来館前の連絡(電話09496・2・8565)を呼びかけている。