大阪発祥ビー玉、語源はビードロ?それともB玉?実は…

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渡義人
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「まだまだ勝手に関西遺産

 色鮮やかなガラスの「ビー玉」。昔懐かしい、あの魅惑の玉は、実は大阪発祥らしい。そもそも「ビー」の由来が以前から気になっていた。詳しく調べてみた。

 ビー玉遊びといえば、平安時代の「銭打(ぜにうち)」と呼ばれる賭博遊びがルーツとされる。現代に直接つながるのは、幕末に外国人の子どもが持ち込んだ「玉當(たまあて)」。横浜の外国人居留地で遊ぶ子の絵が残る。

 舶来の玉は高級品のため、当初は木の実や粘土玉で代用されたが、1892(明治25)年、大阪市の徳永硝子(がらす)製造所が、ラムネ瓶の国産化に初めて成功。この瓶の中のガラス玉が出回り、明治末期には玩具として全国へ広がったようだ。

 「おもちゃ用のビー玉を作るのは、今ではうちだけ。製造を続ける理由は、創業のプライドと歴史を守るという使命感からです」

 松野工業(大阪市平野区)の松野龍太郎(りょうたろう)社長(44)は話す。かつて大阪には10社以上のビー玉製造会社があり、特産品の一つだった。だが、昭和30年代をピークにビー玉遊びが衰退すると、他社は次々と撤退。安い中国産との戦いは厳しいが、今も1日60万球を製造する。ただ、多くはスプレー缶の中をかき混ぜる攪拌(かくはん)用で、おもちゃ用はその3分の1ほどという。

 でも、なぜビー玉なのか。大きく2説あり、広辞苑には、ポルトガル語でガラスを意味する「ビードロ」の略とある。だが、昔の新聞記事をいくら探しても、ビードロ玉という表現は見つからない。本当にそうなのか。松野社長は「昔、業者の間で何色も入ったきれいなものをA玉やA弾、青一色のものをB玉やB弾と呼んでいた、という話もあるようです」と話す。

 ラムネ用に作った玉のうち、出来がよく、瓶の中に入れたのはA玉、形がいびつで規格外となり、おもちゃ用に売られたのがB玉、という似た説もある。ただ、この「B玉説」を裏付ける資料は見当たらず、「俗説にすぎない」とする意見が強くなっているという。

 しかし、1976年の新聞記…

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