映画の歴代興行収入第2位を記録し、今もヒットを続ける「劇場版『鬼滅の刃(やいば)』無限列車編」。なぜ、この映画はかくも多くの人々の心を捉えているのか。「ナショナリズム・戦争」と「物語」との関係をテーマに取材を続けてきた記者が、社会学者・大澤真幸さんの論考を手がかりに考えた。

※劇中の展開・内容について「ネタバレ」があるので、未見の方はご注意ください。

拡大する写真・図版アニメ映画「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の上映初日の映画館前では、写真を撮る人の姿も見られた=2020年10月16日

 3連休中の11月23日にようやく、「劇場版『鬼滅の刃』」を見た。

 中盤、主人公の竈門(かまど)炭治郎が夢の中で、本当はすでに鬼に殺されてしまった家族への別れを告げるシーンで、早くも隣の席の女性がハンカチを取り出すのを見て「えっ、もう泣いちゃうの」と思ったのも、つかの間。

圧倒的な敵との、絶望的な戦い

 炭治郎らが所属する「鬼殺隊」の重鎮である煉獄(れんごく)杏寿郎(きょうじゅろう)と、鬼の中でも屈指の強さを誇る猗窩座(あかざ)が対決するクライマックス、そしてエピローグでは、56歳の自分も、涙がどうにも止まらなくなった。死にゆく杏寿郎、それをみとる炭治郎、炭治郎の盟友の伊之助(いのすけ)と善逸(ぜんいつ)、それぞれの思いがこちらの心にどんどん入り込んできて、感情をコントロールできなくなってしまったのだ。

 目をうるうるとさせながら劇場を出た直後、「この大泣き、ずっと以前にも味わったことあるなあ」と感じ、記憶をたどって気づいた。今から42年前の中2の時、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(1978年)を、立ち見客をふくめぎゅうぎゅう詰めの映画館で見た時の心の動きと、そっくり同じだったのだ。

 手ごわい敵を倒してようやく安心、と思ったら、それとは比べものにならないぐらいの強敵が突然現れ、息つく暇もなく新たな戦いに突入する、という展開も同じだったが、それ以上に魂を直撃したのが、「圧倒的な敵との、絶望的な戦い」という共通のシチュエーションだった。

 卓越した戦闘力に加え、致命傷を負ったかにみえても直ちに回復してしまう鬼・猗窩座を相手に、列車の乗客と炭治郎たちを守るため、満身創痍(そうい)となりながら戦う杏寿郎の姿を目の当たりにして、味わった思い。

拡大する写真・図版煉獄杏寿郎などがあしらわれたJR九州の特急ソニック

 そして、ヤマトの兵器がまったく通じない巨大な敵を相手に、次々と乗組員を戦死させながらも、地球を守るために戦い続ける傷ついたヤマトの姿を見た時の、どうにもならないくらい切なく、哀(かな)しく、そして体が燃え上がるような思い。

 両者は私にとって、まったく同種のものだった。

 戦いの最中、傷ついた杏寿郎に猗窩座はこう語りかける。(以下は原作漫画より引用)

 「生身を削る思いで戦ったとしても全て無駄なんだよ 杏寿郎 お前が俺に喰(く)らわせた素晴らしい斬撃も既に完治してしまった」

 「だが お前はどうだ 潰れた左目 砕けた肋骨(あばらぼね) 傷ついた内臓 もう取り返しがつかない」

 「鬼であれば 瞬きする間に治る そんなもの鬼ならばかすり傷だ」

 「どう足搔(あが)いても人間では鬼に勝てない」

煉獄杏寿郎と「我々の死者」

 それに対する杏寿郎の答えは、

 「俺は俺の責務を全うする!! ここにいる者は誰も死なせない!!」

 なぜ、杏寿郎は決してあきらめないのか。ここまで強くなれるのか。

 もちろん、杏寿郎を慈しみ、「…

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