行きつけの駄菓子屋から始まった 朝乃山の相撲人生

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内田快
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 押しも押されもせぬ次代の横綱候補である朝乃山。戦隊もののヒーローに憧れた小さかったころ、中学時代の行きつけの駄菓子屋、なんとか朝乃山に相撲を続けて欲しかった人たち……。故郷富山で過ごしたどの時間も、出会ったどの人も、もし欠けていたら今の大関はいなかった。

 大相撲で次代の横綱と期待される大関・朝乃山(26)は3人兄弟の次男として生まれた。本名は石橋広暉(ひろき)。「心の広い、おおらかな人になるように」と名付けられた。

 両親の育て方もおおらかで、やりたいことはやらせるのが流儀。父・靖さん(63)は「ひとさまに迷惑をかけるなというぐらいで、放任に近かった。勉強をしなさいというのも言っていない」。

 日焼けで肌を赤くしながら、心優しい戦隊もののヒーローになりきって遊んだ。母・佳美さん(58)は「あの子、小さいころは日光に弱かったのに外で遊びたがって」。治療を受ける3歳年下の弟について歯医者に行ったときには、ギューンというドリルの音を聞いて泣き出したこともあった。靖さんは「弟が何かされちゃうと思ったんでしょうね」と笑って思い出す。

 初めての習い事はスイミング。小学校に入ると友だちに誘われるままに通い始めた。1年後、友だちがやめるとやめた。4年生のときには、ハンドボールを始めた。これも友だちがやっていたから。「友だちというか、人のことが大好きな子でしたね」と佳美さん。

 同じく4年生のある日のことだった。「相撲の練習に行く。大会に出る」。朝乃山が両親に言った。「女の先生と握手をしたら『相撲が強そう』と言われたんだ」。これが土俵への第一歩だった。

 ただ、相撲との出会いは偶然という言葉では片付けられない。石橋家が代々住む富山市呉羽町は相撲熱が高い地域だからだ。明治から大正に活躍した名横綱太刀山のふるさとで、小学校には相撲場がある。児童は「相撲体操」なるものに取り組むほどだ。朝乃山自身、小さいころは相撲好きの祖父のひざの上で大相撲のテレビ中継を見て育った。

 朝乃山は朝早く始業前に学校に行き、体操服を着て練習をした。大会にも何度か出た。ただ、「遊び半分でじゃれあっていたくらい」。熱中していたのはハンドボールの方だった。

「ぼくひまだったんで」

 朝乃山は小学生のとき、ハン…

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内田快
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