死臭漂うジャングル、私は鬼だった 地獄を伝える95歳

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 自室の壁に貼った地図には、戦場になった太平洋の島々が描かれている。鹿児島県姶良(あいら)市の坂上多計二(さかうえたけじ)さん(95)はその一つ、フィリピンのミンダナオ島に18歳で派遣されていた。地図の島々を指さし、語った。「人間、極限状態になったら、他人どころじゃなくなる。鬼になる。自分も地獄を伝えなきゃいかん」

 坂上さんが徴用されてミンダナオ島に渡ったのは1944年2月。麻畑から開墾したダバオ近くの海軍軍需部の直営農場で現地邦人や台湾人らに野菜作りを指導して、軍に納めた。

 45年5月ごろ、農場が米軍の攻撃を受け、坂上さんは腹にけがをした。負傷した人たちを担架にのせ、飛んでくる弾をよけながら海軍野戦病院に運んだが、薬が惜しいのか、軍医は「これはダメ、あいつもダメ」と言って治療しない。「わしには、かかあと子どもがいるんだ」と泣いて助けを求めても、坂上さんたちに「ダメだといったらダメだ。もうじき死ぬから、死んだら連れ帰って処分せよ」と言い、立ち去った。

 『こんな医者があるもんかと悔しかった。まだ息があったから、「処分せよ」と言った軍医の声も聞こえただろう。命が切れるのを待つのは、つらかった』

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