朝鮮人徴用工の日記、支援者へ 戦後補償の重い扉動かす

有料記事戦後75年特集

榎本瑞希
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 1991年、長崎市の稲佐山。韓国から訪れた男性が、半世紀前に暮らした街の姿をじっと眺めていた。やがて傍らで見守っていた平野伸人(73)に向き直り、茶色く変色した小さな日記を差し出した。「原爆とのつながりを示す唯一のものとして、大切に持っていた。役立ててほしい」。日本の戦後補償を巡る重い扉が、一つ開こうとしていた。

 その男性、金順吉は、日本の植民地支配下にあった朝鮮半島の釜山出身。45年に長崎の三菱長崎造船所に徴用されて被爆し、直後の混乱の中で帰郷した。

 長崎でひそかにつけていた179日分の日記は1日1行程度。食事やお金の出入りに関する簡単な記録だ。「弟二名に長崎の絵葉書送る」「陸軍記念日。夕食は赤飯にお魚のごちそう」。次第に、空襲で操業が止まったり、逃走した同僚を捜索したりする描写が増えていく。

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 被爆2世の平野は当時、実態…

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