1日1羽、祈りながら折る鶴 被爆した母とつながる時間

有料記事戦後75年特集

高井里佳子
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 毎日1羽。母が86歳で亡くなった日から鶴を折り続けて299羽になる。広島に原爆が落とされて75年となる6日、京都市北区の益田恵美子さん(55)は広島市中区平和記念公園を訪れ、「原爆の子の像」に折り鶴を捧げる。自分たちに何ができるか――。それを考えながら、平和を祈る。

 75年前のあの日、母・照子さんは爆心地から1・4キロの白島(現・広島市中区)の自宅にいたという。「縁側で将棋をしている兄とその友人をそばで見ていた」。幼いころにそう聞いたが、詳細はよくわからない。照子さんは語ろうとせず、益田さんも「触れちゃいけないこと」と思っていた。くわしく聞く機会がないまま、照子さんは昨年10月、この世を去った。

 5年前の夏、照子さんが広島の高齢者住宅にいた時のこと。車いすで平和記念公園に連れていってもらった際、照子さんは「どうしても行きたい場所がある」と言い出した。探し回ってたどり着いたのが「原爆の子の像」。被爆後、白血病で亡くなった佐々木禎子(さだこ)さんがモデルの像だった。

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 禎子さんは2歳で被爆。小学…

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