「食糧を与えられないのに戦い強要」 大本営参謀の犯罪

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聞き手・天野みすず 編集委員・永井靖二
【動画】インタビューに答えるアントニー・ビーヴァー氏
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 英国の歴史作家、アントニー・ビーヴァー氏は2012年、著述活動の集大成といえる第2次世界大戦の通史を出版した。大戦は「ヨーロッパではなく、極東の地で始まった」と同著で指摘したビーヴァー氏に、ノモンハン事件への見方を聞いた。

 アントニー・ビーヴァー(Antony Beevor)氏 1946年生まれ、73歳。英国の作家で歴史家。英・サンドハースト陸軍士官学校を卒業後、5年間の軍務を経て作家活動に。現在、ロンドン大学バークベック校招聘(しょうへい)教授。戦史ノンフィクションの世界的な第一人者で、主な著書に「スペイン内戦 1936ー1939」、「第二次世界大戦 1939-45」など。

 ――全50章、邦訳で計1500ページに及ぶ著書「第二次世界大戦」の第1章を、ノモンハン事件から書き始めたのはなぜですか

 1939年夏のノモンハン事件は、ユーラシア大陸の東と西とを最初に結びつけた戦いです。その後も、欧州の戦争と太平洋の戦争に絶大な影響を及ぼしました。そういった点から、第2次世界大戦の冒頭に位置づけるべき出来事だと言えます。

 ノモンハン事件は、規模としては主要な戦いとは言えません。しかしその影響は絶大でした。日本の大本営にシベリア方面を攻撃する【北進政策】をあきらめさせ、主に海軍が主張する石油の供給を狙った【南進政策】へとかじを切らせる主要因となることで、欧州戦線の分岐点となった独ソ戦の行方も左右したからです。それが、ノモンハン事件から書き始めることが重要と考える理由です。

 ――著書の中で、ノモンハン事件が独ソ戦に与えた影響について繰り返し言及しています

 ノモンハンで日本軍が受けた打撃は、日本に南進への傾斜という作用を及ぼしました。つまり大陸にいた日本軍はソ連の極東地区を攻撃しないということです。一方、スターリンはヒトラーの軍勢がモスクワに迫ってきている41年秋、その確証を欲したのです。それを知らせたスパイ、リヒャルト・ゾルゲらの情報によって、スターリンは41年10月からの【モスクワ攻防戦】で、ドイツに反撃するためにシベリアの師団を大量に西進させる判断が可能となりました。

 日ソ中立条約を結んでいたとはいえ、スターリンには日本が攻めてこないという確たる保証が必要でした。それ故、ゾルゲが送った情報は重要と考えられます。ただ、スターリンはゾルゲを完全には信用しておらず、日本軍の通信を傍受して得られる情報をより、信頼していました。

記事の後半では、陰謀史観や歴史修正主義との向き合い方など、現在にも通じるテーマを語ってくれました。トランプ氏やプーチン氏にも言及しています。

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 シベリア師団は士気も高く…

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