豪雨で注目の「川辺川ダム」、実はまだ計画消えていない

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今村建二
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 日本三大急流の一つ、球磨(くま)川(熊本県)は「暴れ川」と呼ばれ、しばしば流域に大きな水害をもたらした。治水策の「切り札」とされたのが九州最大級の川辺川ダム計画だった。「清流を守れ」と訴える住民の反対もあって約40年漂流した後、巨大公共事業批判を柱の一つとした民主党政権下の2009年に「中止」となった。あれから10年超。「脱ダム」後の治水策を模索している中で豪雨に見舞われた。これまでの経緯を振り返った。

写真・図版

 九州山地から下ってきた球磨川が潤す田畑とまちが広がる人吉盆地。その中心にある人吉市の街頭には「洪水痕跡」と書かれた標識があちこちにある。

 「昭和40年」「昭和46年」。街を襲った洪水の水位を記録している。豪雨後、治水の専門家らが人吉を訪れ、今回の洪水の痕跡と比べたが、各地で過去を上回る水位を記録した。

 これまで戦後最大の被害をもたらしたのは1965(昭和40)年7月の豪雨だった。流域で死者6人、家屋損壊・流出1281戸、床上浸水2751戸、床下浸水1万74戸の被害を出した。その翌年、発表されたのが川辺川ダム計画だ。

 総貯水容量1億3300万トンは九州最大級、治水だけでなく利水や発電も目的としたアーチ式国営ダム。このダムを組み込んで球磨川の治水計画が練られた。

 治水計画の算定根拠になったのが65年水害だ。

 《球磨川と、人吉で合流する川辺川の上流域での2日間の総雨量は440ミリ》

 65年水害をもとに雨量を設定、洪水時に人吉市内を流れる球磨川の水量を毎秒7千トンとした。人吉で球磨川を流れる水量は毎秒4千トンのため、上流部で3千トンをカットするダムが必要――というのが川辺川ダム推進の論拠となった。

 「7千トン」は、複数のシミュレーションをした上で、行政が「適切」として選んだ値だ。大きな数字を設定すれば大きな治水設備が必要という理屈になる。反対する立場では「設定値は過大」となる。

 「7千トン」は適正か過大か。賛成・反対双方の議論が長年続く一方、公共事業のあり方そのものに厳しい視線が注がれるようになった。

 そんな中、2008年3月の…

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