広島で被爆、朝鮮戦争で最前線に…万札を手に再び日本へ

有料記事

大滝哲彰
[PR]

 「パイロットになって天皇のために死にたい」。自らの「夢」としてそう願った日本の軍国少年は、その後、志願して軍人になった。「祖国」のために、朝鮮戦争で前線に赴いた。祖国・韓国のために。

 75年前、1945年の11月。いま三重県四日市市に住む黄(ファン)尚徳(サンドク)さん(88)は、博多から船に乗り、両親が生まれた朝鮮半島南部・金海(キメ)にほど近い釜山に渡った。

 一家で暮らしていた広島県呉市の自宅を、その2カ月前に枕崎台風で失っていた。初めて見た「祖国」。見渡す限りバラックが広がっていた。貧しさを感じた。

 当時14歳。「バンチョッパリ(半日本人)」。通い始めた学校ではそう呼ばれた。日本の侵略に加担した朝鮮人、と見られているように感じた。教師には「ハングルの発音が悪い」と殴られた。父は呉で、朝鮮半島からの徴用工200人ほどが暮らす寮の寮長をしていた。そんな過去はとても口にできなかった。

 おじの理髪店を手伝い、祖国での暮らしにも慣れてきたころ、朝鮮戦争が勃発した。雨がよく降る日だったことを覚えている。

 「北」の人民軍にいとこが殺…

この記事は有料記事です。残り1542文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら