第2回日本側の難色押し切りなぜ被爆地へ ゴルバチョフの決意

有料記事冷戦終結30年 ゴルバチョフは今

副島英樹
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ゴルバチョフはいま②

 冷戦終結宣言からちょうど30年を迎えた昨年12月3日。モスクワ市内にあるゴルバチョフ財団の執務室で、被爆地への思いを聞かれたゴルバチョフ(89)は、身を乗り出してこう答えた。「私の思いはずっと変わらない。これは人々にとっての惨禍だ。どれだけの人々が犠牲になり、どれだけのものが破壊し尽くされたか」

 昨年8月6日の広島平和宣言は、米ソ冷戦期核軍縮への起点となった中距離核戦力(INF)全廃条約が失効した直後だった。ゴルバチョフと米大統領のレーガンを念頭に、宣言は〈「理性」の発露と対話によって、核軍縮に舵(かじ)を切った勇気ある先輩がいたことを思い起こそう〉と呼びかけた。

 この話題から被爆地再訪に水を向けると、ゴルバチョフは「今はどこにも行けない」と歩行器の方を指さし、「ほら、あれが今の私のスプートニクだ」と笑いを誘った。スプートニクには「衛星」と「同伴者」の意味がある。それでも、日本への思いは強かった。「日本は核兵器とは何かを体験した初めての国だ。日本の役割、日本の言葉は重い」と。

チェルノブイリあったから…」

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