第9回国追われた家族たち 手を差し伸べたい、日本人のバトン

有料記事ルポ2020カナリアの歌

高野裕介
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 昨年12月初旬、イラク北部スヘーラ。東京から約8千キロ離れた中東の小さな町に、日本との意外なつながりを見つけた。シリアと国境を接する丘陵地帯に並ぶ、高さ5メートルの白色の巨大テント4棟。設置したのは日本のNPO法人ピースウィンズ・ジャパン」(PWJ)だ。昨年10月中旬、国連難民高等弁務官事務所UNHCR)から設置を要請された。

 1棟の広さは約240平方メートル。中には毛布やマットが山積みになっていた。テントはシリアからの難民の一時避難所だ。昨年10月、少数民族クルド人が多く住むシリア北部にトルコが越境攻撃を始めて以来、約1万8千人のクルド人が越境してここに逃げてきた。

 PWJは1996年の設立以来、イラクで難民と国内避難民の支援を続けている。現在のイラク事務所の日本人トップは井上恭子(きょうこ)さん(46)。クルド人難民が押し寄せたことを受けて、新たに約3千の簡易テント設置を陣頭で指揮した。

 昨年12月中旬、イラク北部ドホーク近くの難民キャンプを視察する井上さんに同行した。井上さんはPWJが整備した排水溝の前でクルド人難民の女性に「排水溝は役に立っていますか」と話しかけた。「もちろん。毎日掃除しています。ありがとう」と喜ぶ女性と井上さんは握手した。

 「柔らかい手。ガサガサした手。いろんな手と握手してぬくもりを感じる時、現場に立つ大切さを感じます」

 愛知県安城市出身。96年に山梨県の都留文科大を卒業後、名古屋市の地図製作会社に就職し、地図のデジタル化などを担当した。「女性管理職のロールモデルに」と期待されたが、深夜まで残業が続く中、自分の仕事が誰の役に立つかわからなくなった。

 2008年、関心のあった途上国支援の道に進もうと決意して退職した。原点は、子どもの時に見たアフリカの飢餓の写真展だ。やせ細り、ぽっこり腹部が出た栄養失調の子どもの写真が胸に突き刺さった。

 英国の大学院で開発学を学び、帰国後は長崎大大学院で医療支援を学んだ。15年10月にPWJに入り、17年12月にイラクへ赴任した。昨夏帰郷して妹の家に滞在した際、小学生のおいっ子に「どんな仕事をしてるの?」と聞かれた。彼の目を見て、「世界には隣の国から逃げてきて、家がない人がいるの。だから、家をつくっているんだよ。家がないと困るでしょ」と答えた。

 長崎大大学院に在学中、アフガニスタンに多くの井戸と水路を残し、昨年12月に銃撃されて亡くなった中村哲医師の講演を聞いた。現地の人々と互いの差異を認め合いながら、共に働く姿勢に感銘を受けた。

 「私は日本人の先人が築いた遺産の上にポンと乗っているだけ。でも少しでも何か加えて、次の世代につなげたい。それができたら十分だと思うんです」

 イラクの首都バグダッドでは3日、米軍にイラン革命防衛隊の司令官が殺害された。米国とイランの緊張が高まり、中東情勢は混迷を深める一方だ。戦争になれば、クルド人と同じように、多くの人々が我が家を追われることになる。

中東の難民キャンプで暮らす人々に、遠く日本にいる我々はどう関われ、何ができるのか。記事の後半では記者が現場を歩き、考えます

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 難民や貧しい人々に寄り添っ…

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