首里城全焼、自分自身が消えたよう 作家・池上永一さん

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 那覇市首里城の「正殿」など中心的建造物が全焼した。10月31日未明に起きた火災は、沖縄の歴史とアイデンティティーの象徴を焼いた。琉球王朝を舞台にした「テンペスト」の著書がある沖縄出身の作家、池上永一さんに首里城への思いを寄稿してもらった。編集部が依頼して池上さんの原稿が届くまで、わずか1時間。作家が一気呵成(かせい)に書き上げた原稿からは、首里城と沖縄への愛と情熱がほとばしる。

寄稿

 私は首里城が焼失した現実を、まるで災害に遭った被災者のような気持ちで受け止めている。ショックが大きすぎて、自分がふわふわ漂っているような心境である。

 一九七〇年代、私の記憶する最初の首里城は「怖い場所」だった。子供の悪ふざけの場で語られる肝試しの場だ。

 当時は復元事業も行われておらず、「首里城」という名称ではなく「琉球大学跡地」と呼ばれるのが普通だった。

 私の幼心に刻まれた首里城は、ひめゆりの塔や旧海軍司令部壕(ごう)に代表される、いわゆる戦跡である。沖縄戦のとき、日本軍の司令部が首里城にあり、アメリカ軍の艦砲射撃によって焼失した忌まわしい場だ。

 当時は守礼門だけが再建され、そこで撮られたスナップ写真を見ても、首里城の全体像を描ける人は皆無だった。

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 八〇年代に入り、首里城復元…

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