手術後に告げられた人工肛門 がん療養生活をハッピーに

有料記事がんとともに

聞き手・松浦祐子
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 がん患者や家族、医療者らが、日々の生活の中で撮影した写真を集めたオンラインの写真展「がんフォト*がんストーリー」を運営する木口マリさん(44)。38歳の時に子宮頸(けい)がんと診断され、子宮だけでなく卵巣や卵管をとる手術や、抗がん剤治療を受けました。何度も「悪い知らせ」を受けて落ち込みましたが、髪の毛が抜けた「坊主頭」を楽しむようになります。どんな思いの変遷があったのか、聞きました。

 子宮頸がんだと診断されたのは、2013年5月のことでした。日本を海外に紹介する雑誌などを制作する会社で、写真撮影や編集の仕事をしていたのですが、もう少し活動の幅を広げたいと、ちょうど、会社に契約終了の意思を伝えたところでした。

 その少し前から、不正出血があったのですが、最初は病気だとは思っていませんでした。けれど、何度か続くと「さすがにおかしいのではないか」と、この年の1月に、近くの婦人科クリニックへ行きました。

 最初の精密検査では、がんとは言えないとの結果でした。けれど、医師も「なんか変だな」と思ったらしく、その後も精密検査をすることになりました。

 5月になって、急にクリニックの看護師から電話があって「予約なしでいいから、すぐ、来て下さい」と言われました。「絶対、悪い結果だろう」と直感しました。がんかもしれない。死ぬかもしれない、と携帯電話を持ったまま、壁に向いて15分ぐらい固まっていました。

 クリニックに着くと、いつもの診察室ではない、奥の別の部屋に連れていかれました。高齢の女性医師に「がんです。大きな病院で手術を受けるように」と言われました。

 その日は当初から、母親と会う約束がありました。母の日の少し前で、プレゼント用の花を買う時、ふと「最悪、来年、私はいないかもしれない。来年の母の日は祝ってあげられないかもしれない」との思いが頭によぎり、切り花ではなく、なるだけ長くもつようにと鉢植えの花を買っていました。

 ショックを受けた母親の様子を見たら自分の心を保てるかがわからなかったので、この日は、がんのことは一言も言わず、一緒にまつげエクステに行って、ビールを飲んで帰りました。

 その後、大学病院を受診し、確定診断をしてもらうとともに、主治医から病状の説明を受けました。私のがんが、腫瘤(しゅりゅう)を形成しない、とてもめずらしいがんであることがわかりました。円錐(えんすい)切除という手術の方法についても細かく絵に描いて、約1時間かけて説明してくれたので不安はありませんでした。すぐ手術の日を決め、このときになって母親に「実は、がんらしい。でも、簡単な手術で治るらしいから」と、病名を伝えました。

卵巣までも? ショックで食事できず

 自覚症状もなく、体は元気でした。手術も10分ほどで終わりました。翌朝には痛みもなくなり、入院は3泊4日。自分では「これで終わった。治った」と思いました。

 けれど、次の診察の時、主治医に「悪い結果ですね。続いての治療が必要です」と言われました。先の手術でとった組織の病理検査で、がんが広範に広がっていることがわかり、子宮だけでなく卵巣も卵管もとる必要があるとのことでした。

 子宮だけでなく、卵巣もとらないといけない――。全く想像していなかったことで、泣きそうになるのを懸命にこらえました。卵巣をとったら、女性ホルモンが出なくなってしまって、体形も変わって、女性として生きていけなくなるのではないか。誤解だと後で知るのですが、当時は、男になるんだと思いこみ、ショックのために食事がとれなくなってしまいました。おなかはすくのに、リンゴがリンゴに見えない。食べ物ではなく、鉛筆や消しゴムと同じような物体にしか見えず、口に入っていかない。ふらふらになってしまいました。

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 点滴を受ける必要があったこ…

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