父も母も夫も息子も妹も「忘れないよ」 墜落から30年、追悼の1日

有料記事

伊藤智章 国方萌乃 米田怜央
[PR]

 名古屋空港で乗客ら264人が亡くなった中華航空機墜落事故から26日で30年。今年も現場近くで、遺族らは犠牲になった人たちを悼んだ。「長い30年だった」「一日も忘れたことはない」。それぞれの思いを胸に、あの日の事故を振り返った。

 空港に隣接する慰霊施設「やすらぎの園」(愛知県春日井市)。慰霊式が始まる2時間前の午前11時、「名古屋空港中華航空機事故遺族会」の副会長を務める袴田和代さん(67)は、式典の準備のため会場入りした。

 事故では両親を亡くした。父親の遺体は黒く焼け焦げ、通夜に集まった親族に見せるべきか、迷ったのを覚えている。

 事故の責任を追及するため、遺族会は中華航空と機体メーカーを提訴。袴田さんは控訴審まで争ったが、認定されたのは同航空の過失だけで、メーカーの製造責任は認められなかった。航空機がからむ事故が起こるたび、「空の安全を願う気持ちが踏みにじられている」と感じる。「遺族も亡くなる。(遺族会が管理する)この施設を公有化し、教訓を伝えられる場所にできたら」

 式の開始時間の午後1時が近くなると、遺族らが集まり始めた。母の高須しげのさん(当時55)を亡くした愛知県岡崎市の岡田智子さん(61)は、「母が亡くなった時の年齢をとうに超えました。母も人生を楽しんだと思っていたが、自分にとってはまだこれから。母の悔しさが改めて分かった」と語った。

 午後0時55分、愛知県武豊町の須田ゆりさん(87)は、式の開始を待っていた。長男だった達也さん(当時29)を亡くし、毎年参列している。達也さんは旅行会社の添乗員で海外を飛び回っていた。台湾出張のことなど知らなかった。突然テレビニュースで事故発生が流れ、そこに達也さんがいたことを知り、頭が真っ白になった。「一日も忘れたことがない。やりたい仕事だったんだろう。でも……」。

頭上を飛行機が通り過ぎるたび、胸が切なくなる

 夫を亡くした名古屋市中区錦3丁目の高木愛子さん(72)は午後2時、長男(46)、次男(42)と一緒に、慰霊式会場から墜落現場を見つめた。「30年。長いといえば、長い。でも毎日の積み重ねだから」

 あの夜、名古屋空港のロビー…

この記事は有料記事です。残り2317文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら