沖国大ヘリ墜落15年、指針変わっても「米軍偉いまま」

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藤原慎一
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 沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落してから、13日で15年。今も沖縄の重い基地負担は続き、米軍機の事故やトラブルも相次ぐ。日米両政府は7月に日米地位協定に関連する事故対応のガイドラインを見直し、日本側の「迅速かつ早期」の立ち入りを明記した。だが、15年前に現場を見た沖縄の人々のまなざしは、なお厳しい。

 保育園長で当時、自民系会派の同市議だった新垣善正さん(66)は、園の職員から「ヘリが墜落したらしい」との連絡を受け、黒煙の方向に車を走らせた。2004年8月13日の午後。「いつか落ちるのでは、とは思っていたが……」。住宅街の抜け道を通り、沖縄国際大に入ると、目の前にバラバラに焼け焦げた米軍ヘリが横たわっていた。

 事故が起きた場合に備え手元に置いている一眼レフカメラで写真を撮り始めると、米兵が飛んできた。「カメラをよこせ」。背後では米兵が規制線を張り始めていた。規制線の外に立っていた警察官に「議員には調査権がある」と訴えたが、「我々も近づけないんです。出てください」と首を振るばかり。規制線の外に出された。

 発生から1時間余りで、米軍は現場一帯を封鎖した。市消防本部予防係長として、校舎屋上から機体を撮っていた浜川秀雄さん(56)=現・消防長=も、米兵に「建物が倒壊する危険性がある」と言われ構内から追い出された。その後、米軍は日本側の立ち入りを許さなかった。

 立ちはだかったのは日米地位…

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