インパール作戦「日本兵かわいそう」地元が語り継ぐ歴史

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インパール=奈良部健 染田屋竜太 守真弓 乗京真知
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 「この幅わずか2~3メートルのニントウコン川を見て下さい。日本軍と英国軍との戦闘が、ここでありました」

 インド北東部インパール郊外。目印もない道ばたで、地元出身のガイド、ヤイパバ・カンジャムさん(32)が説明を始めた。

 インパールでは第2次大戦中の1944年、英領ビルマ(現ミャンマー)を占領した日本軍と、インドを植民地にしていた英国軍との間で、激しい戦闘が起きた。連合国軍の補給ルート分断を狙った、日本軍の「インパール作戦」として知られ、日本側は食料や武器弾薬の不備などで3万人超の死者を出した。

 「攻撃はいつも夜中でした。想像して下さい。真っ暗で豪雨の中、飢えや病気に苦しみながら戦ったんです」。カンジャムさんは当時の兵士らの手記をもとに、そう解説した。

「これは私たちの歴史」

 カンジャムさんは首都ニューデリーでの観光会社勤めを辞め、2013年にインパールで戦争関連の場所を巡る「戦跡観光」の会社を知人と立ち上げた。

 きっかけは、ずっと持ってきた違和感だ。学校では1947年に英国から独立した歴史は時間をかけて教わるのに、多数が巻き込まれた地元での戦闘については学ばなかった。インパールのあるマニプール州には過激な独立派がおり、政府は治安部隊を配置して警戒対象にしている。辺境にあるため、同州が報道で話題になることも少ない。

 「地元はずっと軽視され、孤立してきた。同じように忘れられてきた戦争の記憶も残さないと、忘れ去られてしまう。これは私たちの歴史だから」

 ガイド業とは別に文献を読み、地元のお年寄りたちへの戦時体験の聞き取り調査を進めた。「日本兵から悪いことはされなかった」「日本兵の暴力は恐ろしかった」――。お年寄りにはそれぞれの体験があった。

 調査に応じたニマイチャランさん(87)は、幼少期に母が病死し、11歳だった43年には日本軍の空爆で父親を失って孤児に。それでも取材にこう語った。

 「日本兵はかわいそう。人を…

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