(小説 火の鳥 大地編)18 桜庭一樹 あなたに逢いたくて
楼蘭王国を一夜にして滅ぼされ、わたしは一人残され涙にくれていました。すると神の鳥がやってきてこう告げたのです。婚礼前日の一日をもう一回やり直させてあげるから、弟のウルスと仲直りしなさい、と。
その方法は、じつに不思議なものでした。
鳥は、自分の首を切り落とし、ウリと葡萄(ぶどう)と柳の葉で包むように命じました。わたしは言われるまま、ウルスの重たい剣をみつけて持ちあげ、こわごわ、鳥の首に振り下ろしました。そしてしっとりした首をたっぷりの葉っぱでくるみ、神殿の祭壇に供えました。
神殿を出ると、何もかもが変わっていました。
滅びたはずの楼蘭王国が、再びあったのです。
色とりどりの服を着て行き交う人、湖から引いた水路を流れる砂混じりの白い水、笑い声。そして、明日に控えた式典のために立ち働く人々……。わたしは婚礼前日の朝に戻っていました。
足をもつれさせ、走り、王宮の中庭に行きました。「ウルス! ウルス! どこ?」と何度も名前を呼びました。木漏れ日の向こうから、剣と剣がぶつかる音と青年の笑い声が響いています。「ウルス!」と飛びだすと、ウルスと剣仲間ワナントがびっくりして、
「マリア? どうしたんだよ。おまえが走ってるところ初めて見た」
わたしは、生きている弟を前にし、へなへなと座りこんで「あぁ!」と言いました。
二人が笑い、剣をおいて近づいてきました。「いよいよ明日ですね、王女さま」「マリア、こいつも近々結婚するんだって。幼なじみのミスラとさ」と早口で話す二人に加わって、わたしもお喋(しゃべ)りしました。
時が巻き戻り、ウルスと取り返しのつかない喧嘩(けんか)をした過去が、消えていきました。
わたしは名残惜しい楼蘭最後の一日をゆっくり過ごしました。親しい人の顔を見、声を聞き、素晴らしい王宮、栄える町、民の暮らしなどの風景を見て、その中にいる自分を感じました。やがて砂漠の夜が近づいてきます。わたしは神の鳥との約束通り神殿に向かいました。
暗い神殿に入り、松明(たいまつ)の火をつけました。祭壇においた鳥の首をそっと持ちあげます。
神の鳥とわたしは、こう約束していました。一日が終わったら、燃え盛る火に首をくべる、と。すると炎の中から鳥が復活し、もとの時間軸に……つまり王国が滅亡した後の世界に戻るのだそうです。
わたしは松明に鳥の首を投げこみました。炎の中から左右に広がる翼が見え、長い首がもたげられました。眩(まぶ)しい火の粉を撒(ま)き散らし、神々しい炎の鳥が姿を現しました。そして光りながら天井を飛び回り始めました。
やがて降下し、わたしに近づいてきました。じっとわたしの目を見て、声を発します。どんな一日を過ごしたかと優しい声で問われました。わたしは弟と仲直りできたことを話し、感謝の気持ちを伝えました。鳥がうなずき、また何か言おうとしました。
その瞬間、わたしは、隠し持っていた剣を振りあげました。右から横に振り払い、鳥の首を思いっきりかき切りました。首は弧を描いて飛び、神殿の床に落ち、遠くまで滑っていきました。
わたしは駆けて、首を拾うと、震えながら葉っぱにしっかり包みました。祭壇に戻ろうとしますが、足が萎(な)えて転び続け、とても歩けません。無様に這(は)って進み、ようやく祭壇につくと、首をまた捧げました。
立ちあがり、よろめきながら神殿を出ました。
すると……。
そこには婚礼前日の朝の楼蘭が広がっていました。わたしは一心不乱に駆け、王宮の中庭へ。剣と剣がぶつかる音と、青年の笑い声。「ウルス! ウルス! どこ?」「マリア? どうしたんだよ」と弟が振り向きます。
わたしはその胸に飛びこみ、しゃくりあげて、
「――あ、あなたに逢(あ)いたくて」
わたしは、神の鳥を裏切り、この世の理(ことわり)の外側に出てしまいました。
神の火を盗んだ罪人になったのです。
その日から、楼蘭は婚礼前日の一日を繰り返すようになりました。夜寝ても、朝起きると、また前日になっています。わたしは婚礼を控えた十八歳の乙女のまま、何日も、何年も、楼蘭という永久機関に籠(こも)り続けました。
外の世界に出ることも、神の鳥を復活させて裏切りを謝ることも、わたしはしませんでした。
ときどき緑栄えるロプノールの湖畔に行き、近くの集落の人に会い、外の世界のことを聞きました。そのうち鉄でできた車や空を飛ぶ鉄の鳥などを目撃し、わたしは外の世界の変化を察しました。
ある日のこと。わたしは木の枝と鳥の羽根で作ったおもちゃの鳥を飛ばし、子供たちと遊んでいました。ところが遠くまで飛び、神殿に入ってしまったので、「取ってくるわ」と神殿に入りました。
すると見慣れない服装をした大柄な男がいました。黒い短髪に黒い目をし、明の兵士と似た風貌(ふうぼう)でした。
同じ一日を延々繰り返すせいで、わたしは王国のすべての民の顔を覚えていました。でもこんな男には見覚えがありません。「誰!」と問うと、男は振りむき、右手を腰にやりました。黒い筒状の未知の武器を握り、わたしに向けました。
パーン、と乾いた音がし、左脇に熱い激痛が走りました。わたしは悲鳴を上げました。男は祭壇から神の鳥の首を下ろして、握り、急いで走りだしました。
「待ちなさい!」
わたしもよろめいて追いかけます。男が何か怒鳴ります。それは聞き覚えのない言語でした。わたしたちは神殿を出て、城門へ。「ま、待ちなさい……」そして門から外へ。男がラクダに飛び乗って去っていきます。
砂漠は灼熱(しゃくねつ)で、遠くにどこかのオアシスの蜃気楼(しんきろう)が揺れていました。わたしは脇から血を流しながら男を追いました。「待って……」背後から風が吹いて粉塵(ふんじん)が飛んできました。振りむくと……。
楼蘭王国が消えていくところでした。
わたしはあわてて城門から戻ろうとしました。目の前で、色とりどりの服を着た民も、婚礼の支度に華やぐ広場のあれこれも、消えました。風がやんだときには、王国は古い遺跡に変わり果てていました。
「しまった! 神の鳥の首を、取られたから……」
わたしは遺跡を歩き回りました。それからロプノールの湖畔に行き、ぼんやり座りこみました。遠い昔、明の兵士たちに滅ぼされたあのときのように。
やがて近くの集落の人に保護され、傷の手当てをしてもらいました。わたしの話す言葉は大昔のウイグル語なので驚かれました。傷が癒えると、わたしは何度も楼蘭の遺跡を訪ねました。でももう何もありません。やがてあきらめ、生きていくために都市を目指しました。
成都に落ち着くと、現地の中国語を覚え、食堂で働くようになりました。
このとき、一九〇四年でした。外の世界では、楼蘭が滅ぼされた日から四百年近くが過ぎていたのです。
わたしは町になじめず、親しい人も作れず、夜になると楼蘭を思いだして泣いてばかりでした。
十年経ち、二八歳になりました。鏡を見るとずいぶん顔つきが変わっていました。目に光がなく、皮膚に苦労が刻まれ、見る影もない。このまま歳(とし)を取って一人で死んでいくのだと思いました。
食堂の客の会話によると、この年、たくさんの国が参戦する“世界大戦”なるものが起こっていたそうです。でもわたしには何のことだかわかりませんでした。
三年後、今度は北のほうの大きな国で、王族支配を終わらせる“革命”なる民衆蜂起が起こりました。でも一日目に指導者のレーニンという男が不慮の死を遂げた、とのこと。それもわたしには遠く関わりのない出来事でしたが……。
そして、翌年の春。
山と積まれた食器を黙々と洗っているとき、とつぜん草原にいるような突風が吹き荒れました。わたしは倒れ、気を失いました。
意識を取り戻したときには、ありえない場所に戻っていました。
婚礼前日の楼蘭王国です。
わたしの顔も、十八歳に戻っていました。
◇
〈あらすじ〉火の鳥調査隊を毒殺しようとして捕らえられたマリア。その生い立ちは驚きに満ちたものだった。西暦1513年、18歳だったマリアは、楼蘭王国の王女として弟ウルスとの結婚(拝火教では近親婚が許されていた)が決まっていた。婚礼の夜、中国の大国・明の襲撃を受け、王国は滅ぼされ、ウルスは殺される。前夜にウルスとつまらない喧嘩(けんか)をしてしまったことを悔いるマリアの前に、燃えさかる体を持つ大きな美しい鳥が現れ、語りかけてきた。
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