投獄11年・妻子は渡米…中国活動家、緩まぬ弾圧に苦悩

有料記事

北京=延与光貞 合肥=宮嶋加菜子
[PR]

 民主化を求め、広場を埋めた北京の学生たちが軍の力でねじ伏せられた天安門事件から30年。豊かになった中国の内外で、理想を求め、真相を追う人々の苦悩が続いている。

 昨年12月、陝西省西安出身の民主活動家、趙常青(50)が米サンフランシスコに降り立った。

 1989年4月、地元の陝西師範大学1年生だった趙は北京の学生が民主化を求めて立ち上がったのを知り、友人らに声をかけて西安でデモを始めた。

 北京にも応援に行った。軍の鎮圧があった6月4日は西安に戻っていたが、知らせを聞いてすぐ北京に引き返し、街の様子を調べていたところを拘束された。

 事件後、多くの学生が政治から距離を置くなか、趙は民主化を訴え続けた。「実践こそが社会を変える」と、行動することにこだわった。その姿は、天安門広場のデモに参加し、繰り返し投獄されながら国内にとどまったノーベル平和賞受賞者、劉暁波(2017年7月死去)に重なる。

 趙は劉らが起草し、中国の民主化を訴えた「08憲章」に署名。13年には憲法の枠内で市民の権利を訴える「新公民運動」の活動で、懲役2年6カ月の実刑判決を受けた。30年間で6回拘束。11年を塀の中で過ごした。罪は一度も認めなかった。

 天安門事件後も人権活動家や弁護士、宗教関係者への弾圧は止まらない。「民主化しなければ、悲劇はなくせない。中国にいる自分が訴え続けるしかない」と趙は信じてきた。

 89年当時の学生指導者らは相次いで国外に逃れ、活動を続けている。しかし、自らが自由な暮らしを享受しながらの訴えは、国内で次第に力を失った。経済発展を遂げ、人々の関心が政治から遠のくなかで、民主化運動の魂を受け継ぎ、闘いの前線に立ったのは「中国の問題はここで生活する人が解決するしかない」と考えた劉暁波や趙のような人々だった。

ここから続き

 安徽省合肥に暮らす沈良慶(…

この記事は有料記事です。残り1080文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら