元ちとせ、一度は諦めた反戦歌 原爆が焼いた7歳の少女

有料記事あの人が語った戦争

聞き手・村上英樹 写真・外尾誠 写真家・里村実氏
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だれより厳しい母「ドラマのような話はない」

 将来、歌手になるなんて思いもしなかった。高校3年でシマ唄で奄美民謡大賞を受賞し、数え切れないほど東京のレコード会社からデビューの誘いが来ました。全部、断りました。ドラマのような話はない、と母に言われて――。

「ワダツミの木」「この街」など数々のヒット曲を歌ってきた元ちとせさん。彼女には歌うことを諦めた曲がありました。「あの曲、もう一回、挑戦したいです」。そう覚悟を決めた理由とは。これまでの音楽人生を語るロングインタビューです。

 今はずいぶんと数が減りましたが、奄美大島の女の人には職業として伝統工芸品大島紬(つむぎ)の織元になる人が多かった。私の母もそうでした。

 ぼんやりした記憶ですが、私はハイハイする頃から、ずっと大島紬の織物工場にいました。たくさんのおばちゃんがいて、ハタ織り機があって。そのあとの記憶では個人個人の家でハタ織り機を囲むような風景の中で、母がハタを織り、シマ唄がレコードで流れていました。

 母をひと言でいうと、だれよりも厳しい人、怖くて強い人。感情むき出しで言い合いました。

 高校3年で奄美大島の民謡大…

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