夏目漱石「吾輩は猫である」118

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 知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をしておればよろしかろう。歴史はとにかく彼らはかかる異様な風態をして夜間だけは得々たるにもかかわらず内心は少々人間らしい所もあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこも悉く見えなくしてしまうのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼らの礼服なるものは一種の頓珍漢(とんちんかん)的作用によって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだという事が分る。それが口惜(くや)しければ日中でも肩と胸と腕を出していて見るがいい。裸体信者だってその通りだ。それほど裸体がいいものなら娘を裸体にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? 出来ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう。現にこの不合理極まる礼服を着て威張って帝国ホテルなどへ出懸(でかけ)るではないか。その因縁を尋ねると何にもない。ただ西洋人がきるから、着るというまでの事だろう。西洋人は強いから無理でも馬鹿気ていても真似なければ遣り切れないのだろう。長いものには捲(ま)かれろ、強いものには折れろ、重いものには圧(お)されろと、そうれろ尽(づく)しでは気が利かんではないか。気が利かんでも仕方がないというなら勘弁するから、余り日本人をえらい者と思ってはいけない。学問といえどもその通りだがこれは服装に関係がない事だから以下略とする。

 衣服はかくの如く人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かという位重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したい位だ。だから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化物に邂逅(かいこう)したようだ。化物でも全体が申し合せて化物になれば、いわゆる化物は消えてなくなる訳だから構わんが、それでは人間自身が大(おおい)に困却する事になるばかりだ。その昔し自然は人間を平等なるものに製造して世の中に抛り出した。だからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸(あかはだか)である。もし人間の本性が平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長して然(しか)るべきだろう。しかるに赤裸の一人がいうにはこう誰も彼も同じでは勉強する甲斐(かい)がない。骨を折った結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだという所が目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっと魂消(たまげ)る物をからだにつけて見たい。何か工夫はあるまいかと十年間考えて漸く猿股(さるまた)を発明してすぐさまこれを穿(は)いて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが今日の車夫(しゃふ)の先祖である。単簡なる猿股を発明するのに十年の長日月(ちょうじつげつ)を費やしたのは聊(いささ)か異な感もあるが、それは今日から古代に溯(さかのぼ)って身を蒙昧(もうまい)の世界に置いて断定した結論というもので、その当時にこれ位な大発明はなかったのである。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」という三つ子にでも分るような真理を考え出すのに十何年か懸ったそうだ。凡(すべ)て考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の智慧(ちえ)には出来過ぎるといわねばなるまい。さあ猿股が出来ると世の中で幅のきくのは車夫ばかりである。余り車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔(わがものがお)に横行闊歩(かっぽ)するのを憎らしいと思って負けん気の化物が六年間工夫して羽織という無用の長物を発明した。すると猿股の勢力はとみに衰えて、羽織全盛の時代となった。八百屋(やおや)、生薬屋(きぐすりや)、呉服屋は皆この大発明家の末流(ばつりゅう)である。猿股期、羽織期の後(あと)に来るのが袴期(はかまき)である。これは、何だ羽織のくせにと癇癪(かんしゃく)を起した化物の考案になったもので、昔の武士今の官員などは皆この種属である。かように化物どもがわれもわれもと異を衒(てら)い新を競って、遂には燕(つばめ)の尾にかたどった畸形(きけい)まで出現したが、退いてその由来を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目(でたらめ)に、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してない。

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