夏目漱石「吾輩は猫である」2

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 吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この家(うち)の主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女(げじょ)は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿なしの小猫がいくら出しても出しても御台所へ上って来て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛を撚(ひね)りながら吾輩の顔を暫らく眺(なが)めておったが、やがてそんなら内へ置いてやれといったまま奥へ這入ってしまった。主人は余り口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜(くや)しそうに吾輩を台所へ抛り出した。かくして吾輩は遂にこの家(うち)を自分の住家(すみか)と極(き)める事にしたのである。

 吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎり殆(ほと)んど出て来る事がない。家(うち)のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかの如く見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗(のぞ)いて見るが、彼はよく昼寐(ひるね)をしている事がある。時々読みかけてある本の上に涎(よだれ)をたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色(たんこうしょく)を帯びて弾力のない不活潑(ふかっぱつ)な徴候をあらわしている。そのくせに大飯(おおめし)を食う。大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二、三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実に楽なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寐ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人にいわせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来る度(たび)に何とかかんとか不平を鳴らしている。

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 吾輩がこの家(うち)へ住み…

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