夏目漱石「吾輩は猫である」10

有料記事

[PR]

 吾輩が主人の膝の上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女(げじょ)が第二の絵端書を持って来た。見ると活版で舶来の猫が四、五疋(ひき)ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている、その内の一疋は席を離れて机の角(かど)で西洋の猫じゃ猫じゃを躍(おど)っている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側(わき)に書を読むや躍るや猫の春一日(ひとひ)という俳句さえ認(したた)められてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂闊(うかつ)な主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻(ひね)って、はてな今年は猫の年かなと独言(ひとりごと)をいった。吾輩がこれほど有名になったのをまだ気が着かずにいると見える。

 ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる。今度は絵端書ではない。恭賀新年とかいて、傍(かたわ)らに乍恐縮(きょうしゅくながら)かの猫へも宜(よろ)しく御伝声奉願上候(ねがいあげたてまつりそろ)とある。如何(いか)に迂遠な主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えて漸(ようや)く気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。その眼付が今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた。今まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個の新(しん)面目(めんぼく)を施こしたのも、全く吾輩の御蔭(おかげ)だと思えばこの位の眼付は至当だろうと考える。

ここから続き

 折から門の格子(こうし)が…

この記事は有料記事です。残り1208文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら