夏目漱石「それから」(第二十七回)六の一

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 その日誠吾(せいご)はなかなか金を貸して遣(や)ろうといわなかった。代助(だいすけ)も三千代(みちよ)が気の毒だとか、可哀想(かわいそう)だとかいう泣言(なきごと)は、なるべく避けるようにした。自分が三千代に対してこそ、そういう心持もあるが、何(なんに)も知らない兄を、其所(そこ)まで連れて行くのには一通りでは駄目だと思うし、といって、むやみにセンチメンタルな文句を口にすれば、兄には馬鹿にされる、ばかりではない、かねて自分を愚弄(ぐろう)するような気がするので、やっぱり平生(へいぜい)の代助の通り、のらくらした所を、あっちへ行ったりこっちへ来たりして、飲んでいた。飲みながらも、親爺(おやじ)のいわゆる熱誠が足りないとは、此所(ここ)の事だなと考えた。けれども、代助は泣いて人を動かそうとするほど、低級趣味のものではないと自信している。凡(およ)そ何が気障(きざ)だって、思わせぶりの、涙や、煩悶(はんもん)や、真面目(まじめ)や、熱誠ほど気障なものはないと自覚している。兄にはその辺(へん)の消息がよく解っている。だからこの手で遣り損ないでもしようものなら、生涯自分の価値を落す事になる。と気が付いていた。

 代助は飲むに従って、段々金を遠ざかって来た。ただ互(たがい)が差し向いであるがために、旨(うま)く飲めたという自覚を、互に持ち得るような話をした。が茶漬(ちゃづけ)を食う段になって、思い出したように、金は借りなくっても好(い)いから、平岡(ひらおか)をどこか使って遣ってくれないかと頼んだ。

 「いや、そういう人間は御免…

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