夏目漱石「それから」(第一回)一の一

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 誰か慌(あわ)ただしく門前を馳(か)けて行く足音がした時、代助(だいすけ)の頭の中には、大きな俎下駄(まないたげた)が空(くう)から、ぶら下っていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退(とおの)くに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして眼(め)が覚(さ)めた。

 枕元を見ると、八重(やえ)の椿(つばき)が一輪畳の上に落ちている。代助は昨夕(ゆうべ)床の中で慥(たし)かにこの花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬(ゴムまり)を天井裏から投げ付けたほどに響いた。夜(よ)が更(ふ)けて、四隣(あたり)が静かな所為(せい)かとも思ったが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋(あばら)のはずれに正しく中(あた)る血の音を確かめながら眠(ねむり)に就いた。

 ぼんやりして、少時(しばら…

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