夏目漱石「三四郎」(第九十五回)十の二

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 「朽(く)ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑(そうそう)の変に任せて、後(のち)の世に存(そん)せんと思う事、昔より人の願(ねがい)なり。この願のかなえるとき、人は天国にあり。されども真(まこと)なる信仰の教法より視(み)れば、この願もこの満足もなきが如くに果敢(はか)なきものなり。生きるとは、再(ふたたび)の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願にもあらず、望(のぞみ)にもあらず、気高き信者の見たる明白(あからさま)なる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横わるはなお埃及(エジプト)の砂中に埋(うず)まるが如し。常住(じょうじゅう)のわが身を観じ悦(よろこ)べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟(たいびょう)と異なる所あらず。なるがままになるとのみ覚悟せよ」

 これは『ハイドリオタフィア』の末節である。三四郎はぶらぶら白山(はくさん)の方へ歩(あるき)ながら、往来のなかで、この一節を読んだ。広田先生から聞く所によると、この著者は有名な名文家で、この一篇は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、尤(もっと)もこれは私(わたし)の説じゃないよと断られた。なるほど三四郎にもどこが名文だか能(よ)く解らない。ただ句切りが悪くって、字遣(じづかい)が異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古い御寺を見るような心持がしただけである。この一節だけ読むにも道程(みちのり)にすると、三、四町(ちょう)も掛った。しかも判然(はっきり)とはしない。

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 贏(か)ち得た所は物寂(も…

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