【解説】

 前回取り上げた東京の料理店「銀座松本楼」襲撃事件で、魚市場の人々から目の敵にされたのが、松本楼を経営する地元京橋区(現中央区の一部)選出の小坂梅吉市議でした。しかし、経緯を見ていくと、この事件は魚市場の業者側の早とちりが発端だったようです。

 1924(大正13)年3月30日付の前回取り上げたのと同じ紙面には小坂氏の弁明も載っています。小坂氏は「自分は(新市場の)売上手数料を除外するよう主張し、各派の会合に出席していて議場にいなかった。その席にいなかったことが誤解を招いたようだ」とあります。

 校閲記者の視点で見ると、「誤解を招いだ」は「…を招いた」の誤植と思います。「当の小坂梅吉氏」の「当の」も現代では不要でしょう。議員名の「坪野君」も初出はフルネームが欲しいので「東京都議会議員略歴集録」(1968年発行)などにより「房治」と補います。日本橋区(現中央区の一部)選出の市議です。また「市場令作製」は後段の「作成」にそろえた方がよいでしょう。同様に2段落目の「手数料徴集」も前段の「徴収」にそろえましょう。

 松本楼が襲われる事態になった経緯は、その後の裁判記事を見ていくと概要がわかります。24(大正13)年6月6日付の記事に「松本楼襲撃の暴行事件 二十四名孰(いず)れも有罪公判に」とあります=別記事1

 首謀者は、京橋区南小田原町(現在の中央区築地6、7丁目あたり)の魚仲買商で36歳となっています。市場の売上手数料徴収の議案などを聞きつけた魚市場の業者ら数百人が東京市会の議事堂に押し寄せ、議案の通過を知って、「(業者の利益に反する)議員を殺せ、殴れ」という怒号のなかで、この魚仲買商が地元選出の小坂氏が採決に加わらずに議場を退席していることを知ります。群衆500人に向かって市会の結果を公表する際、憤激のあまり拳を振り上げ、「小坂梅吉は我々と密接な関係にありながら、我々に賛成の投票をしなかった。皆このことをよく覚えていて松本楼にお礼をしよう」と報復を促す演説をして、群衆多数が暴行に至ったというものです。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

町田 和洋(まちだ・かずひろ)

1958年生まれ、群馬県出身。84年入社、名古屋で紙面編集、学芸部記者などを12年ほど転々。名古屋、東京、大阪校閲部を経て08年から東京校閲センター。1万歩ウオーキングが日課。最近は白土三平「カムイ伝」と中森明菜にはまっている。