【解説】

 リオデジャネイロ五輪・パラリンピックでは、日本選手が大活躍しました。私も体操の内村航平選手や白井健三選手の演技に拍手を送り、陸上男子400㍍リレーの銀メダルには、驚きました。パラリンピアンの障害を感じさせない見事なパフォーマンスにも、感動しました。

 開催国ブラジルも躍進しました。日系ブラジル人の活躍もありました。男子体操では、オヤカワ・アルトゥール・ノリ・マリアーノ選手が、種目別のゆかで銅メダルを獲得しました。女子ラグビーで日本が2度も完敗したブラジルの主将イシバシ・ハルミ・パウラ選手は、南米を代表する選手です。

 今や日系人はブラジル社会に根を張り、スポーツはおろか各分野に進出し、ブラジルを支える存在と言っても過言ではありません。そのルーツは、1908年から始まった移民事業で渡った人々でした。

 最初の移民は、笠戸丸で渡った783人です。その年の4月29日付の朝刊に記事が掲載されていました。それが冒頭の記事です。

 移民は、「皇国移民会社」の募集とありました。「皇国」は明治憲法下の特徴的な言葉です。元首に天皇を頂く国、日本は天皇の国であるという意味です。国策会社の名前には、堂々と使われる時代だったのだろうと思います。現行憲法下では、ほとんど使われなくなりました。

 「組織」に「そしょく」と読み仮名を振っていますが、現在では「そしき」と読む人がほとんどだと思います。しかし日本国語大辞典には、「そしょく」の項目があり、「『そしき(組織)』に同じ」とありました。かつては「そしょく」とも読んだのですね。

 また、短い記事の中に「同国」「同州」「同船」と「同」が頻出していて、読みにくい気がします。現在では「同」の乱用で記事が読みにくくならないように気をつけています。記事後半の「同国」は「伯西」、「同船」は「笠戸丸」にしてはどうかと提案してみます。

 ブラジル移民の歩みは、まさに苦難の連続。その歴史を記事で振り返りました。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

中島 克幸(なかじま・かつゆき)

1958年、北海道生まれ。「上州をゆく」(あさを社)、「古都のドラマを訪ねて」=日本図書館協会選定図書(文芸社)、「江戸・東京のドラマを訪ねて」(同)など、旅、歴史の本を出版。「読むと、意外なドラマに出会えるかも」。