【解説】

写真・図版

10月25日、ゴンドラから見る那須の山は色づいていた=栃木県那須町のマウントジーンズ那須、写真はいずれも山村隆雄撮影

 秋も深まり、各地から紅葉の知らせが届き始めました。気象庁の「かえでの紅葉日」によると、紅葉が見られる地域は平年通りだと10日ごろに東北北部、20日ごろに関東北部や北陸北部、30日ごろに九州北部と南下します。気象庁の観測データを見ると、北海道では10月半ばから例年通り紅葉しているようです。

 紅葉狩りは花見と並んで昔から日本人が楽しんでいる季節のイベント。朝日新聞が大阪で創刊した1879(明治12)年にも、紅葉を楽しむ人や色づき具合の記事が載っています=記事1

 ところで冒頭で取りあげたのは1928(昭和3)年の記事。「紅葉狩りへ臨時列車 日光伊香保方面は今真っ盛り」という記事です。春の花見のときに臨時列車を出したという記事を「春だ!花見だ!臨時列車だ!」でご紹介しましたが、紅葉狩りでも臨時列車を出していたのですね。

 現代の校閲記者の視点で、読んでみましょう。記事冒頭に「好晴に恵まれたこの土曜日曜にかけて各地の紅葉の名所は紅葉狩の人々で賑はふことであらう」とあります。「好晴」は今ではあまり使いませんね。今なら「好天」「快晴」などとするでしょう。また、「紅葉狩」は見出しの「紅葉狩り」と表記がばらついています。そろえましょう。

 読み進むと「日光、伊香保、榛名、塩原、那須の紅葉は丁度見頃で、甲府の昇仙峡や鬼怒川のけい谷は六分」などと各地の色づき具合を紹介しています。そして「これ等の観ぷう客の便宜をはかるため廿七日夜から廿八日にかけて(略)観ぷう列車の臨時運転をすることになった」とあります。

 ん? 記事が載ったのは10月28日付夕刊。臨時列車は27日夜から28日だから、読者が読む時にはほとんど終わっていたのでしょうか。

 実は当時、朝刊は当日の日付でしたが、夕刊は翌日の日付で発行していました。交通網が発達していない時代は、翌日の朝刊と一緒に配達していた地域があったことも関係していたのかもしれません。1943(昭和18)年10月に「夕刊の日附統一」というお知らせが載っています=記事2。当日の日付で発行するようになったのはこの日からです。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

山村 隆雄(やまむら・たかお)

1968年生まれ、千葉県出身。91年入社、名古屋本社校閲部。以来東京、福岡、大阪と異動しつつ校閲の仕事を続ける。2008年から東京本社校閲センター次長。高校、大学で柔道部。プライベートでは犬を猫かわいがりしている。