【解説】


 寒さが一段と厳しくなってきました。友人同士の集まりや会社の新年会などで、大きな絵皿の模様が透き通るほど薄切りのフグ刺しや温かいフグちりを楽しんだ方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回はこの冬の味覚の一つ、フグの記事を取りあげます。1965(昭和40)年の、東京都がフグの家庭食を解禁したという記事です。

 まずはフグ食の歴史を簡単に振り返ってみましょう。

 淡泊でうまみがあって食べ飽きないフグは、古くは縄文時代から食べられていたとみられ、各地の貝塚から骨が見つかっています。

 漢字で「河豚」と書くのは、中国でフグが揚子江などを遡上(そじょう)したことから定着した名称が日本にも伝わったようです。平安時代中期の辞書「和名抄」には、「布久(ふく)」とあり、肉食のフグが口から水を吹き付けて、砂の中にいるエサを捕食するからだという説もあります。下関(山口県)を始め西日本では、昔は濁らず「フク」という呼び名が使われていました。由来は諸説ありますが、フグが「不遇」に通じ、フクが「福」をもたらすからだという説もあるようです。

 フグの内臓などにはテトロドトキシンという猛毒を含んだ部位があり、それがフグ食中毒を起こし、死亡する場合もあります。関西ではフグに当たると死ぬことから鉄砲にたとえ、「フグ刺し」「フグちり」を「てっさ」「てっちり」と呼んだりします。

 豊臣秀吉が朝鮮出兵時、フグ中毒で倒れる者が続出したことから食用禁止令を出し、江戸時代にも各藩が禁じました。もっとも美味なフグですから、禁令があっても庶民はひそかに楽しみ、松尾芭蕉は「あら何ともなやきのふは過(すぎ)てふくと汁」と詠んでいます(「ふくと(う)汁」はフグを使った汁物のこと)。

 明治政府も法令で禁じていましたが、1888(明治21)年に初代総理大臣の伊藤博文が下関の割烹(かっぽう)旅館で違法を承知で出されたフグを食べて、そのうまさに驚いて、山口県内でのフグ食解禁を指示したとされています。

 4年後には東京でも、内臓を取って洗浄することを条件に販売が認められました。

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

・漢字の旧字体は新字体に
・句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
・当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください

上田 孝嗣(うえだ・たかつぐ)

1966年生まれ、福岡県出身。91年入社、東京本社校閲部、仙台、函館支局、東京本社地域面編集などを経て2012年から校閲センター。食と酒の美味探求とスキューバダイビング、旅好きなアラフィフ。共著に「パイプ大全」。