(認知症社会)届け、私の声 たくさんの人と話したい

 (39面から続く)

 ■たくさんの人と話したい 佐野光孝さん 静岡・富士宮市、67歳

 営業マンだった58歳のとき、認知症と診断された。落ち込んだが、観光案内所のボランティアなどをきっかけに、少しずつ認知症を受け入れた。悩んでいる人の参考になればと各地で講演し、「認知症になってもできることはたくさんある」と伝えてきた。妻・明美さん(63)=写真左=との講演は80回を超えた。

 いま一番の楽しみは週2回、近くの福祉会館で卓球をし、スマッシュを決めることだ。週3回は介護用品をつくる地元の工房で働く。認知症になって再開したギターの練習も日課だ。「自分が好きなことやるのが一番いいだよ」

 今月6日に開かれた全日本認知症ソフトボール大会には、地元チームの4番で出場した。周りから「がんばって」「かっこよかった」と声がかかった。明美さんに普段から言っている。「人と会うのがいい。たくさんの人と話したい」

 ■くよくよせずに前進する 福本知恵子さん 宇都宮市、75歳

 約10年間介護した認知症の夫を昨年末に亡くした。その直後、自分も認知症と診断された。車の運転ができなくなり、夫と一緒に通っていた認知症の家族会に行くのが大変になったが、メンバーが送り迎えすると言ってくれている。

 「車をこすったり、エアコンを消し忘れたり、おかしいなと思うことはあったから、早くわかってよかったわ。認知症だった夫の気持ちが今になってわかる気がするの」

 日々の暮らしは変わらない。

 毎朝5時すぎに起きてラジオ体操をする。3度の食事の用意、掃除に洗濯、買い物、庭の草むしり。玄関に花を生け、奉仕活動にも参加する。

 「前進あるのみ。くよくよしても仕方がないからね。私は私なりに、明るく生きていくのが一番いいと思っています」

 ■今も小説書きたい気持ち 鈴木克彦さん 東京・町田市、82歳

 長くデザイン関係の仕事をしてきた。1年前に認知症と診断された後も、外出時はメモ帳を何冊も持ち歩き、頭に浮かんだ言葉を書き留める。メモ帳は自分で紙を切ってテープを貼って作った。表紙に「忘れないうちに新鮮なうちに記入」「まあ後でいいや。は忘れてしまう」などと自身に向けた言葉が並ぶ。

 かつて同人誌に詩やエッセーを執筆していたこともある。「いまも小説を書きたい気持ちがあります。できるかどうかわからないけど。何か書いていないとダメなんです」。仕事で使っていた「すずき」という自分の名前入りの原稿用紙をずっと愛用している。

 思い描くテーマの一つは鈴木さんが20代のときに亡くなった母のことだ。「認知症になった後の自分のことも書いてみたい。みなさん心配するけど、ごくごく普通に生きていられます」

 ■まだ何でもできる、走れる 波多野和さん 北海道・恵庭市、91歳

 認知症の人と走り、日本を縦断するイベント「RUN伴(ランとも)」のプロモーション動画に出演している。撮影から約4カ月後の今月半ば、グループホーム長の寺沢道恵さん(41)がスマホで再生し、「覚えてる?」と尋ねると、「みんな忘れてる」と笑った。

 80代半ばまで、今は亡き夫が営む紳士服店を手伝い、その後に妄想などが出始めた。「認知症を恥ずかしいとは思わない。代わりにみっちゃん(寺沢さん)が思い出してくれるから安心」

 「ランとも」は、NPO法人「認知症フレンドシップクラブ」が開催する。今年は6月に北海道を出発し、沖縄までたすきをつなぐ。寺沢さんに初参加を促され、「うれしいこと言ってくれるね。まだなんでもできる。走れる!」。

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 社会面で週末に随時掲載してきた「認知症社会」はこれで終わります。認知症にまつわる報道には、今後も力を入れていきます…

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