(科学の扉)新元素発見に挑む ニッポニウム後、100年越しの夢

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 森田浩介九州大教授ら理化学研究所のチームが成し遂げた113番元素の発見は、日本にとって「100年越しの夢」だった。アジアで初めての命名権獲得は、約1世紀前に新元素を発見しながら失意のうちに亡くなった小川正孝博士や、加速器を導入して原子核物理学を切り開いた仁科芳雄博士らが築いた道の先にあった。

 113番元素が見つかる100年前の周期表に「ニッポニウム」という元素が載っていた時期がある。発見者は小川正孝博士。1865年、東京・芝の下級武士の家に生まれ、愛媛・松山で育った。東京帝国大を卒業し、ロンドン大に留学。後に東北帝国大の総長になった。

 留学中の1904年ごろ、指導教官のラムジーから与えられた鉱物の中に未知の物質を見つけた。帰国後も研究を続け、08年に英国の化学雑誌に43番元素として報告。ラムジーのすすめもあり、ニッポニウムと命名された元素が周期表に載った。小川は化学会の賞を受けた。

 だが、含有量が少ないため検出が難しく、海外から続報が出ない。東北帝大総長になった小川自身も弟子の協力を得ながら分析を続けたが、次第に疑問視され、周期表から消えた。

 小川が見つけたのが43番と…

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