「もしトラ」に思い出す奇跡のバーボン講座 翻弄される「米国の魂」

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アナザーノート 経済部次長・江渕崇

 そんな出来すぎた話があるか、という読者の声が聞こえてきそうなほど、出来すぎた話を一つ。

 バーボンなどアメリカンウイスキーの本場、米ケンタッキー州一帯を巡る取材ツアーに参加した6年前のことだ。

 1日に3カ所ほど蒸留所を訪れ、樽(たる)出しのバーボンを試飲しながら、酒造りの全てを仕切る責任者「マスター・ディスティラー」と語らう。酒好きならば、最高の数日間だったに違いない。

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 独立戦争や禁酒法、2度の世界大戦といった試練をくぐり抜けてきたバーボン。何代にもわたる酒造りを受け継いだ「マスター」たちが語る芳醇(ほうじゅん)なストーリーには、アルコールにあまり強くない私も、大いに興味をそそられた。

 ツアー最終日の夜。夕食をとろうと同州最大都市ルイビルのダウンタウンを歩きながら、にわかバーボンファンとなっていた私には少しだけ心残りがあった。バーボンの歴史や文化について、いくつもの著作がある専門家へのインタビューを申し込みそびれていたからだ。

 ルイビル在住の作家・評論家フレッド・ミニックさん。彼に話を聞けば記事はもっと面白くなるだろうが、ツアー中は日程が詰まっていたし、翌朝には帰りの飛行機に乗らなければならない。仕方ないよな、と自分に言い訳していた。

 活気のありそうな米南部料理のレストランを見つけ、ふらりと入った。幸い、バーカウンターが1席だけ空いていた。

 「どこから来たんだ?」

 右隣に座っていた男性が話しかけてきた。首元に上品なスカーフを巻き、仕立ての良いジャケットをまとった洒落者(しゃれもの)だった。

 バーボンの取材ツアーに来た記者だと自己紹介すると、「そのツアーのアレンジを手伝ったのは俺だよ」という。

 差し出された名刺を、思わず二度見した。「フレッド・ミニック」。肩書には「ベストセラー作家」とあった。

 第一人者による、ぜいたく極…

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