一生忘れぬ波に乗る サーフィン五輪代表・稲葉選手、地元一宮で決意

中野渉

 今夏のパリ五輪サーフィン男子の出場権を獲得した稲葉玲王(れお)選手(27)が自身初の大舞台を前に、意気込みを語った。地元の千葉県一宮町で会見を開き、「金メダルを一宮に持って帰りたい。それが恩返しになる」と力を込めた。

 稲葉選手は2月にプエルトリコで開かれた五輪最終予選を兼ねるワールドゲームズ(WG)に参加し、五輪出場権が確定した。水しぶきを作る力強いライディング「スプレー」が持ち味だ。

 1歳のとき、プロサーファーの父・康宗さん(58)に連れられてサーフィンの聖地・米ハワイの海に入ると、水が怖くなってしまった。康宗さんは、息子をプロサーファーにする夢を1度諦めたという。

 5歳のころ、康宗さんの指導を受けてサーフィンを始めた。初めは「泣きながら」だった。小学生になると、毎日のように朝も夕方も海に入り、気付いたらサーフィンが楽しくなっていた。小学4年生のとき、全日本選手権のキッズクラスで準優勝した。

 小学6年生からは一宮とハワイを行き来するようになり、サーフボードのシェイパー(製作者)として世界的に有名なウェイド・トコロさんと出会った。

 サーフィンの技だけではなく、「来た時よりも部屋をきれいにして帰りなさい」「人間として成長しなさい」などとマナーの大切さも教わり、「第2の父」と慕う。ハワイではサーファーの知り合いも増えた。

 世界で戦うには英語が必要と痛感し、中学1年生の終わりから1年近く、豪州で過ごした。

 当時最年少の13歳でプロになり、15歳からは世界ツアーで各国を転戦して経験を積んできた。10代のころは資金がなく、古いアパートの部屋を借りた。遠征先で水だけ飲んで眠り、空腹をこらえることもあった。

 サーフィンが初めて正式種目になった2021年の東京五輪は一宮町が会場になった。活躍を期待されたが、「出場できず、くやしかった」。一方、地元のサーフィンの盛り上がりを実感している。「次世代のサーファーへの影響もあると思う。頑張りたい」

 今はハワイで過ごすことが多い。大一番の前には、地元の玉前神社で必勝祈願を欠かさない。

 康宗さんと母の弘江さん(56)は一宮町でサーフショップを営む。「できるかぎり頑張って準備をすれば、運がめぐってくるかもしれない」と期待を寄せる。

 パリ五輪の会場はフランス領ポリネシアのタヒチ。波は大きく、崩れそうな大波のトンネル「チューブ」をくぐり抜けるのは死と隣り合わせだ。「少しでも恐怖があると乗れない。気持ちが一番大事」と口元を引き締めた。

 幼いころから思い描く「一生忘れられない波」に巡り合うチャンスだとも感じている。「良い波に1本乗れたら、一気にひっくり返せる。金メダルを狙える」(中野渉)…

有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません