プロパガンダの先の「人間の声」信じた ソ連ラジオ局の日本人アナ

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市川美亜子

 静かな夜に、そっとラジオの周波数を合わせれば、涼やかな声が今にも聞こえてきそうに思える。「こちらはロシアの声、モスクワからの日本語放送です」――。

 ペレストロイカの始まったソ連末期、外国向け国営ラジオ局「モスクワ放送」に入社。ソ連邦崩壊後に「ロシアの声」に名称が変わり、プーチン政権が放送を中止するまでの30年間、アナウンサーを務めた。

 政治思想から「鉄のカーテン」を越えたのではない。学生時代にソ連のろうあ劇団に魅せられて、彼らについて書いた論文の副賞としてモスクワを旅行。戦前に亡命し、放送局で働いていた俳優の岡田嘉子さんに誘われた。

惜別 日向寺康雄(ひゅうがじ・やすお)さん

 ペレストロイカ期の旧ソ連時代から30年間、ロシアの国営ラジオ局で日本語放送のアナウンサーを務めた日向寺康雄さんが、今年1月に急逝した。海外の短波放送を聴く「BCLブーム」で、その声に親しんだ日本のリスナーも多かった。「プロパガンダ放送」と揶揄されながらも、「人間の声」に希望を抱き続けた人生を振り返る。

■「恥ずかしくないのか」との…

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    辻田真佐憲
    (評論家・近現代史研究者)
    2024年3月23日15時10分 投稿
    【視点】

    プロパガンダと言われても仕方ない仕事をしていたものの、本当は人間愛に溢れて、生活者に寄り添って仕事をしていた――。戦時下の音楽や映画などの研究でもよく言われる「物語」のひとつです。近年では定番と言ってもいいでしょう。プロパガンダだからと切っ

    …続きを読む