かたくなに難民を阻み、喝采あびたオルバン氏 かつてはリベラル闘士

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ブダペスト=喜田尚 松尾一郎
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【アーカイブ】連載「ポピュリズムの欧州 オルバン編」前編

 ロシアへの融和姿勢、トランプ氏支持…。国際政治の舞台で注目を集めるハンガリーのオルバン・ビクトル首相は、かつては1990年代に東欧各地で広がった民主化革命に身を投じたリベラル派の闘士でした。オルバン氏が政治家として変貌していく姿を関係者への取材から描いた朝日新聞の連載「ポピュリズムの欧州 オルバン編」(2015年12月16~22日付朝刊国際面)をアーカイブ配信します。年齢や肩書は掲載当時、敬称は省略します。

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 激動の冷戦期を経て、民主化を進め、2004年に悲願の欧州連合(EU)加盟を果たした東欧のハンガリー。11月16日、首都ブダペストを流れるドナウ川に臨む国会議事堂に、首相のオルバン・ビクトル(52)が登壇した。

 「テロリストが紛れ込んでいたのだ。これまで何人テロリストが欧州に到着したのか」

 演説は3日前に起きたパリ同時多発テロを受けたものだった。実行犯らがシリアなどを逃れた難民になりすまし、欧州に潜入した可能性が浮上していた。オルバンは「(難民流入は)キリスト教文化への脅威」と反対の立場。自分の考えに同調しなかったEUやほかの加盟国首脳らを激しく突き上げた。

 この夏、EU盟主のドイツの首相メルケルは「保護すべき人を保護するのが欧州の伝統だ」と述べ、EU諸国が難民の受け入れを分かち合うよう求めた。これに対しオルバンは、バルカン半島を北上してハンガリーに迫る難民を国境で止めるため、フェンスを建設した。9月初めにはブダペストの駅からドイツ、オーストリア方面に向かう難民らを閉め出し、数千人を立ち往生させた。

 「非人道的」との批判が高まると、オルバンはブリュッセルのEU本部に乗り込み、記者団の前でこう反論した。「(排除したのは難民らが)登録を拒んだからだ。入国した者を登録するのが欧州の規則だ」。そして「これは欧州の問題でなく、ドイツの問題だ」と言い放った。

 その日、トルコの海岸に打ち上げられた男の子の遺体の写真が世界中で報道された。ギリシャに向かうボートが転覆し、亡くなったシリア出身のアイラン・クルディ(当時3)。国際世論は難民受け入れへと傾いていた。

 だが、歓迎ムードは長くは続かなかった。ハンガリーで足止めされた人々が出国を認められ、ドイツに殺到した。あまりの多さに国民の間に不安が一気に広がり、メルケルの支持率は急落した。

記事後半では、26歳のときにリベラル闘士として注目されたオルバン氏の姿を、関係者の証言などから振り返ります。

「反移民」キャンペーン 国民にアンケートも

 それと対照的に、オルバンは…

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