震災翌年から福島で診療続ける医師が語る 能登の復興に大切なこと

有料記事

岩堀滋
[PR]

 2011年3月11日の東日本大震災と、その後発生した福島第一原発事故からもうすぐ13年がたつ。埼玉県嵐山町出身の医師・小鷹昌明さん(56)は震災翌年から、地震と大津波、原発事故の三重被害を受けた福島県南相馬市で診療を続けている。被災地で活動してきた医師として、今、感じていることを聞いた。

 小鷹さんは震災発生時、栃木県内にある医科大学の准教授だった。

 だが、原発事故後の南相馬市で医師不足が課題になっていることを知り、「医師として本当の力を試される場所だ」と考え、12年3月に同市立総合病院に赴任。20年4月から同病院付属小高診療所長になった。

 震災後の南相馬では、被災した自宅を離れて仮設住宅に移り、近所に顔なじみの住民が少なくなるなどして周囲から孤立する高齢者が少なくなかった。酒量が増えて健康状態が悪化するケースも増えたという。

 同診療所が立地する同市小高区は原発事故後に「警戒区域」に指定されて立ち入れなくなった。16年以降に大部分で制限が解除されたが、帰還した住民は一部で高齢者が中心。地域で仕事をして生活する見通しが立ちにくく、若者は少なかったという。

 こうした状況をふまえ、小鷹さんはこれまで、「診療所で患者を待っているだけではだめだ」と、地域を巡回する「在宅診療」に力を入れてきた。

 そんな小鷹さんが心配するのは、元日に発生した能登半島地震の被災地の状況。南相馬で起きたことと重なって見えるからだ。

 能登地方では水道などのイン…

この記事は有料記事です。残り607文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら