津波警報中の全員帰宅、避難所閉鎖 津波高欠測も 課題の対策急務

能登半島地震

清水康志
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 元日に発生した能登半島地震から、1日で1カ月となる。県内でも津波警報が発表され、酒田、鶴岡、遊佐の3市町は沿岸部に避難指示を発令。5千人以上が避難した。だが、大半の人が津波警報の解除前に自宅に戻るなどした。今後の防災について課題を探った。清水康志

 遊佐町は1日午後4時22分に避難指示を発令した。

 指定避難所の旧吹浦小に約110人、西遊佐まちづくりセンターに約100人が避難し、津波警報の継続中に全員が帰宅した。津波警報の解除前に帰宅が相次ぐ状況は酒田市鶴岡市でも発生したが、遊佐町では警報と避難指示の解除前に避難所を閉めていた。

 西遊佐の避難所を運営した西遊佐地区まちづくりの会の伊藤新一会長(76)によると、住民や帰省した子連れの家族が建物内や車中に避難した。だが、ニュースで津波高が数十センチと報じられると「この程度なら大丈夫」といった雰囲気になり、避難住民はぞろぞろと帰宅した。午後7時前には伊藤会長らを除いて帰宅したため、午後8時半ごろ避難所を閉めたという。

 伊藤会長は、住民の早期帰宅について「『まだ帰ってはいけない』と我々が言ってもいいものか、すごく難しい。防災無線で避難継続を促すなど、危機管理の判断や通告は役場主導でやってほしい」と話した。

 町によると、西遊佐は沿岸部を含めて避難指示の対象外だったが、避難する住民が多く、避難所を開設。避難指示が出た吹浦の避難所も、全員が帰宅後の午後8時半に閉めたという。担当者は「津波警報の間は避難所を開けておく必要があった」と話した。

 また、町は避難指示解除も酒田市と鶴岡市より9時間近く早かった。町は津波警報が注意報に切り替わった2日午前1時15分に避難指示を解除。両市は注意報が解除された午前10時に避難指示を解除した。町の担当者は「注意報の間は避難指示を継続するよう、運用を改める」と語った。

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 能登半島地震では冬場に高台への緊急避難を強いられ、寒さや食料、トイレなどの問題が生じている。

 酒田市の離島、飛島では1日午後5時52分に40センチの津波を観測。島内では約80人が車や徒歩で高台のグラウンドなどに避難した。

 グラウンドの一角にある防災資機材庫に避難所が開設されたが、建物に入れたのは約40人。半数は車内避難だった。市とびしま総合センターによると、夏季避難を想定したテントは配備済みだが、冬場に使う想定ではないという。

 本間むつ子さん(72)は揺れを感じてすぐ、「津波がこわい」と近所に避難を呼びかけ、4人で車に乗って高台へ。避難所には入らず車中避難した。「避難所は狭く、風邪の感染も心配だった」。水や乾パンが配られたが、夕食の時間が近づいて空腹になったこともあり、みんなが帰り始めたという。同センターによると、この日のうちに避難者全員が帰宅した。

 また、酒田市では緊急避難先として「津波避難ビル」を指定している。今回の地震では6カ所に300人以上が避難した。だが、民間ビルのため、市からの食料や毛布は未配備。人が常時いるホテルや病院などを除くと、今回は寒さが課題になった。市は民間側とも協議して、食料や毛布を配備する考えだという。

 鶴岡市では、高台の駐車場や神社境内に避難した人たちが、厳しい寒さやトイレがないことにつらさを感じた。市防災安全課は「非常用持ち出し袋にカイロや保温シートなどを入れるよう周知する」と話す。

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 県内で震源に最も近かった鶴岡市では、潮位観測施設の不具合によって、津波の高さが欠測となった。

 欠測したのは、国土交通省国土地理院が所管する「鼠ケ関験潮場」。国土地理院測地観測センターによると、昨年12月17日から正確に計測できなくなり、地震当時も不具合が続いていた。海と施設の井戸をつなぐ直径約10センチの導水管にごみや砂が入り、海水の流れが妨げられたことが原因とみられるが、1月11日には自然復旧した。31日には原因解明のための潜水調査と導水管などの清掃をした。

 鼠ケ関験潮場は、2019年6月の山形県沖地震の際も電源設備の故障で、地震当日に津波高を発表できなかった。鶴岡市防災安全課は「津波高は被災状況の把握や避難指示解除を判断する重要なデータ。今後こういうことのないよう、国土地理院に申し入れた」と話した。

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