がんで失った手足の感覚 泣いた帝京の元エース、障害者野球が救った
帝京高校(東京)では、2年生ながら甲子園で先発した。140キロ超えの直球と安定した制球は、プロからも注目された。そんな左腕は今、群馬の障害者野球チームで投げている。
「実は、今が一番楽しいんです。まさか野球に戻れるとは思ってもいなかった」。群馬県太田市の渡辺隆太郎さん(29)は笑う。
高校卒業後、社会人野球の強豪・富士重工(現・スバル)へ進んだ。5年目の2017年春。精巣がんが見つかった。日常生活に支障はなく、医者からも「治療で治る」と言われ、「深刻には思っていなかった」。実家がある静岡県の病院で抗がん剤治療を受けることになり、入退院を繰り返した。
突然、消えた手足の感覚
17年9月。一時退院で自宅の車庫から車を出そうとした時、軽くアクセルを踏んだところ急発進した。家の壁に衝突してしまった。足にアクセルやブレーキを踏む感覚がないことに気がついた。抗がん剤の副作用による末梢(まっしょう)神経障害だった。
治療を進めるにつれ、歩けなくなった。「ずっと空中に浮いているみたいで……」。バランスが保てず、杖や歩行器が必要に。手にも力が入らず、食事のときは何度も箸を落とした。食卓には、予備の箸やスプーンを10本並べていた。
「かなりショックだった」。気持ちは沈み、何度も泣いた。野球なんてもういい。元気になるだけで十分だと思っていた。
19年にがんは完治。杖をつきながら歩けるようになり、再び太田の職場に戻った。手足の障害は残ったままで、日常生活を送るだけで手いっぱいだった。
そんなある日、小学6年のこ…
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