「どこ行くの?」
いまなら「おやじ」に、そんなひと声をかけてくれる人がいるかもしれない。
でも、連絡先を記した名札を身につけた認知症の父は、誰からも声をかけられず、駅の改札を抜けて隣駅まで行き、列車にはねられて死亡した。
あの事故から15年余り。
亡くなった男性の長男、高井隆一さん(73)=愛知県大府市=はいま、社会の中で、認知症の人を見守る目が生まれてきた、と感じている。
「一番変わったのは『徘徊(はいかい)』という言葉。ひと昔前は、認知症の人について必ず徘徊という言葉が出ていました」
世界アルツハイマーデーの9月21日、大府市が主催した対談イベントで、高井さんはそう切り出した。
その手には、2016年3月2日付の朝日新聞の1面記事を持つ。見出しには「徘徊事故 家族に責任なし 認知症 JR賠償請求に最高裁判決」とあった。
2007年12月、高井さんの父(当時91)は、介護にあたっていた母がまどろんでいたすきにひとりで外出。列車で移動し、駅のホームから線路に下りてはねられた。
この事故をめぐり、JR東海は、高井さんら介護家族の「監督責任」を問い、振り替え輸送費など720万円の賠償を求めて提訴。二審・名古屋高裁は、同居の母にのみ監督責任を認めて約360万円の賠償を命じたものの、最高裁は16年3月の判決で、高井さんらに賠償責任はない、とした。
歴史的な日の新聞を手に高井さんが強調したかったのは、自身の逆転勝訴ではない。
社会の変化だ。
認知症の人が出歩くことには、目的があると思ってきた。父がひとりで出歩いた先に、かつて勤めていた農協や、生家の跡地があったからだ。事故が起きた日も父はトイレを探しあぐね、線路に下りたようだった。
新聞・行政文書から消えた言葉と、提案する声かけ
認知症の人をめぐり、目的も…
【締め切り迫る】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら